雨は落ち着く。


シトシトと降っている雨は落ち着く。サーサーと降っている雨も落ち着く。

 

雨は世界から私を切り離してくれる。ような気がする。いつも。
雪が降る日にもそう思うし、かと言って何も降らずとも、夏や冬の真夜中は、私を一人にしてくれる。この地球上でたった一人。

 


雨の擬音は面白い。
ポツポツ、ザーザー、ポトポト、ザッザッ、言われてみればそう聞こえなくもないし、刷り込みや誘導をされている気もしないでもない。


私も雨に言葉を付けてみたい。けれど大概思い付くものは既に存在しているし、無さそうなものは的を外し過ぎている。

音を文字にするのって、難しい。

 

 

擬態語は、本当にそう聞こえているのかわからないくせに、万人が共有しているから凄い。

 

カエルの鳴き声や、手を叩く音、風の音や波の音のような擬音語は、その場にいる誰もが、共有できる音だけれど、例えばズキズキ、チクチク、ガンガン、ジンジン、そういった痛みの状態なんかは、共有し難い。各々の体の中で起こっていることで、外に音を発している訳ではないから、誰もが同じ表現をするのは難しいはずなのに、ズキズキがどんな痛みなのか、チクチクがどんな状態なのか、みんな知っているしおそらくみんな同じ答えになる。なんでなんだろう。神のみぞ知る不思議。神って凄い。

 

 

 


という日記を、雨が降る度に書こう書こうと編集し続け、なんだかつまんねぇ文章だなぁ、といつも思いながら文字を足し続け、ようやくここまでに至る。結局大したことを書いておらず、消してしまおうかと何度も思ったけれど、じゃあ、雨の降る度にこの日記を見つめていたあの時間は一体何だったの?私たちの関係って一体?私のこの思いはどうしたらいいの?と思ったり思わなかったりして、私たち、もう終わりにしよう、これ以上一緒に居ても幸せになれないよ、、、ごめんね、今までありがとう、元気でね、、、。みたいな心境だったりそうでなかったり、よくわからないけど物事の終わりを見つけるのって難しい。

 

 

 

 

失くしたものは、必ず失くした場所があって、そこに行けば必ずあって、つまり、何かを失くした時、それを手元に戻したい時は、そこへ行くしかないのだと思う。

 

過去に自分が置いてけぼりになっているのなら、そこに戻ってここに連れ戻してあげないといけない。そうしないと、いつまでもいつまでも、私の体のどこかにポツンと、小さな自分が居座り続けて、もしかしたらガンのように大きくなっていくのかもしれない。急に膨らんで、破裂するのかもしれない。

 

 

取り戻したいものは取り戻さねばいけない。時間の軸だってちゃんと辿って行けば過去に戻せる。行きたかった場所に行ける。やりたかった事もできる。会いたかった人にだって会える。

 

 

昨日、私のミゾオチ左あたりに10年くらい潜み続けていたちっこい私が消えた。ずっと居るのはわかっていたのだけど、どうやってそこから出してあげればよいのか、わからなかった。

 

やはり無くし物は無くした場所にちゃんとある。あそこかな?と思う場所に、どんと構えて落っこちている。

 

 

 

もう二度と会わない人とお別れするのは、物凄く悲しい。このままお互い、死に向かっていく。そんな大袈裟なことじゃあないけれど。寂しいとは思わないけれど、この先の私の道の上に、ひょっこりとも現れないのだと思うと、なんだかちっと恐ろしい。またがないからまたねとは言えない。元気でね、という言葉は虚しい。

 

 

 

いつでも自分を正しいと認めてあげたい。それで合ってるよ、間違ってないよ、君は正しいんだよ、それでいいんだよ、と、認めてあげたい。愛でてあげたい。愛されたい。

 

いつだって私は一人だけど、パラパラマンガのように生きている。点が線になるように、何百何千もの私が連なって、一人の私になっている。二ページ目の私は一ページ目の私を、百ページ目の私はそれまでの九十九を、できれば自分も入れて百の自分を、愛してあげたい。

 

 

ヘンゼルとグレーテル

 

 

本当に思っている事は、たぶん言葉にできない。

 

この一文も、どう表現したらよいかわからず、適当な言葉が見つからなくて、結局中学生が作文の授業で書き出しそうな文章になってしまった。

 

モヤモヤするほど凄いことに気が付いている。


たぶんきっと、辞書になっても表せないことが沢山ある。


嬉しい、悲しい、楽しい、恥ずかしい、懐かしい、許せない、虚しい、幸せ、寂しい、こんな高々4〜5文字で、私の思いを表現できるわけがない。


それでも忘れたくないから、仕方なく言葉を使う。欠片でも残しておけば、いつかまた思い出すことができる。ヘンゼンルとグレーテルだって、パンのカケラを落として歩いた。そういうこと。そういうこと。

 

 

どうにもまとめられなくって、文の繋がりが薄い。それほどに何かを得ている。

 

 

こんなのをいつか読み返して、何かを思い出せるんだろうか。思い出したい。

タイトルが付けられない

 

 

悲しいことよりも、楽しいことを1000年先まで覚えていたほうがよいに決まっている。

 

昨晩の不可解な憂鬱から一変、今晩は楽しくて楽しくて仕方がない。躁鬱病かもしれない。
この宇宙で今、一番私が幸福だと、ナサを通して主張できそうなくらい幸せ。

 

何だって自分次第で、私の人生だもの、私さえこの人生に満足できれば大いによい。いつだって、後にも先にも今にも、最終判断を下すのは私しかいない。

 


幸福ってぇのは、大胆で色濃くて形あるものが全てではないなと今日、初めて気が付いてしまった。世紀の大発見。スーパースター。


ちっとお酒を飲んで、安心できる好きな人たちと会話をして、何よりも落ち着く自分の部屋に座って、あったかい電気を点けて、大好きな音楽をかけて、時間の罠も解いて、あらゆる支配からすり抜けて、自由、これが自由だ!という気分で、爽快。

 


こういう素朴で強固な幸福が、いつでもあったらよいなぁ〜、と思って止まない。もうすぐ終わってしまうのも感じている。ちと寂しい。でも今は幸せ。嬉しい。

 

 

パラレルワールド

 

 

何に恐れているのかわからない時が、この世で一番恐ろしい。

 

怖いのか、悲しいのか、悔しいのか、虚しいのか、全くわからないわけではないけれど、ピントの合わない画面を見ている時のようにモヤッとしていて心地悪い。

 

落ち着かない。ソワソワする。
時計の音が迫ってくる。
朝が近付いているのが、目に見えてわかる。ように感じる。

 


眠るのが怖い。
どうせ眠れないんだろうけど、眠れないなりに眠れるんだろうけど、意識が無くなった時が、恐ろしい。
眠って忘れられたほうがいいに決まっているのに、眠ったら体のどこかの細胞が壊死してしまいそうな気がする。

 

 

このまま、パラレルワールドへ移動できないかしら。こっちの世界は別の私に任せてしまって。

 

 

 

 

眠れない。夜が憂鬱。

どうせ今日も眠れないんだろ、と思いながら布団に入るのが苦痛。
次の休みは、病院へ行こう。

 

 


というちょっとヤバめなメモを昨晩残して眠った。いや結局眠ったんかい。昨日の眠りは最悪に最悪だった。算数みたいにマイナス×マイナスがプラスになったりしないから最悪。極悪。極道。マジで極道。指詰められる系。

 

もう最後に熟睡したのなんていつ?何時何分何十秒?地球が何回回った日?いーけないんだ、いけないんだ、せーんせーにーいっちゃーおーう、ここはどこ?私は誰?もしかして私たち、入れ替わってる〜〜〜〜〜〜!?!?!?

 

君の前前ぜっ

 

 

 

 

 

眠るのが憂鬱ってヤバくない?睡眠って人生の一番の醍醐味じゃない?毎日の生活における至福じゃない?春眠暁を覚えずじゃない?ていうかもう夏じゃない?ていうかカエルって夜行性なの?ホタルって絶滅したの?生き物はいつ歳を取るの?太陽にどこまで近付いたら焼け死ぬの?月は冷たいの?ユートピアってどこにあるの?いつになったら火星に住めるの?昔「俺は火星人なんだぜ」って10年近く私を騙し続けていた親戚のおじさんは今でも火星人なの?見た目的には土星に住みたいし名前的には金星に住みたいけどなんで地球だけ名前に星が付かないの?なんで地星とか地球星とかじゃないの?どう考えたって星縛りだよね?なんで暗黙のルール守んないの?なんでそこで個性見せちゃうの?そういうのが世の中をダメにするし地球温暖化も進むんだろうが!!!!!ちょっと自転と公転の仕組みがわからないけれど毎日地球の昼間側の人間が一斉にジャンプし続けたら太陽からちっとでも離れて地球温暖化を防止できたりしないの?ピカソ?ベートーベン?リンカーン?継続は力なりじゃない?もうわけわかんない。春眠暁を覚えずあたりから訳わかんない。もう何が言いたいのか全くわかんない。もう嫌だ。マジもぉ無理、、、、、、、リスカしよぉ、、、、、、、、、、、、、、、

 

 

 


それでも今日も今日とて楽しかった。何も愉快なことはないけれど。生きていることが楽しい。

 

明日はも〜っと良い日になるよね♩ハム太郎♪♫🎶

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘケッ

 

 

本当の幸せというのは、何がそれなのかはさっぱりわからないけれど、決して万人に愛されて、チヤホヤされて、好きなものだけに囲まれていることが、それというわけではないと、今思う。限定かもしれない。今。

 


電車に揺られて、お酒も入って眠たくて、座れる席もないこの30㎠の空間、ここが今、今の中で最高に幸せだと思う。

 

特別に何もない。好きなものがひとつふたつ、あるだけ。でも今が一番幸せ。

 

 

普段自分がいる世界、考えている空間からずば抜けたところにいる人に出会うと、もう訳がわからなくなる。
彼も私も、正しくはないし間違ってもいない。でも間違っているし正しい。ジャッジする人もいない。それが心地よい。

このままどこかへ行ってしまいたい。どうせどこにも行けずに、いつもいるところへ帰っていくのだけど