はてさて

 

 

来たところに戻る、結局いつもそうなのかもしれない。

 

体に紐を巻いてトラックを引っ張る人がいるけれど、私の腰にも、どうやっても千切れないゴムが括り付けられていて、こう、地球の中心から逃げるように、私はいつもそれを引っ張っている。ある程度までは引っ張れるけれど、力に耐え切れなくなって引き戻されてしまう。

 

その繰り返しをしている気がする。

 


それでも少しでも遠くへ行けるよう歩き続けるのか、ゴムを引きちぎる方法を探すべきなのか、地に根を生やして別の考えを見つけるべきなのか、はてさて。

 

 

トラック

 

 

言葉は難しい。

 

重かったり軽かったり、冷たかったりあったかかったり、尖っていたり丸っこかったかり、透けていたり濁っていたり、遠かったり近かったり、硬かったり柔らかかったり、暗かったり明るかったり、その他諸々、する。

 

言葉の影響力は凄い。
良かれ悪かれ、私の発する言葉は何らかの力を乗せて、誰かの元へ届く。そうして磁石で吸い寄せたり弾いたりするように、その人の行く先を曲げてしまったりする。

 

あぁまた、あぁまた、と、日々感じる。また逸らしてしまった、また捻じ曲げてしまった、

 

どれだけそれが恐ろしいことか、と最近よく思う。声を発するのを躊躇うことがある。

 

 

その分わたしも影響を受けている。いつのまにか流されていたりする。

 

 

陸上競技場のトラックみたいに、それぞれの通る道が決まっていたらなと思う。
誰とも交錯しない、けれどすぐ隣に誰かがいる、自分だけの道が、あったらな〜〜、と、思う。ちょっとよくわからない。

 

 

 

いつも途中まで書いて、なんだか違うな〜と思って、飽きて、諦めて、放ってしまう。数日前の自分を、フォローしてあげている気分。言葉はそういうもの、扱うのが難しい。

 

 

 

おわり

夏 その2

 

 

夏はよい。

 

夏はよい。という始まりもよい。
枕草子の気持ちが少しわかる気がする。

 


夏は寛大

 

夏は何でも認めてくれる。
認めるというよりも、許してくれる。

 

大丈夫だよ、それでいいんだよ、
というよりも、

 

べっつにそんなのよくねー!?ていうか飲み行こうよ!?!?!?明日仕事??何時から???いやいや朝まで行けるっしょwwwww

 

みたいなかんじ。
誰かのイメージに似ている。

 

 

 


あれだ

 

 

 

 


職場の同僚の友人

 

会ったことないけど、話を聞く限りだとそんなかんじ

 

 

 

 

夏は凄い。

 

夏になると、冬に考えていたあれこれがどうでもよくなる。

 

夏になると、冬にできなかったあれこれができるような気がする。

 

夏になると、何でも大丈夫だと思う。

 

 

そう思うことで、自分を奮い立たせている。冬に負けていた分、夏になると闘志が芽生える。なんか違うけど。そんなかんじ。

 

 

昔の人々が、生きた人間を神に捧げていたように、そうすることで村を守っていたように、そうすれば村を守れると思い込んでいたように、私もそうする。

 


夏は大丈夫だ。
夏はなんとでもなる。

 

 

タッタッタタッ

 

 

懐かしい、と思うところに戻るのは、なんだかよくない気がしてきた。

 

いいのだけど。

 

いつまでも過去に囚われてはいけない、というのとは別世界で、なんていうのかな、寿命が縮んでしまうような、時間を喰ってしまうような、そんな感覚で、よくない気がする。

 


久しぶりに会う人に変わったねと言われると、ホッとする。これも同じ意味で。良い意味で変わったのであれば、尚よい。

 

 

何も考えずに、手も足も動かさずに、目や口も動かさずに、血液や細胞の動きも止めて、ぼんやりすることだけにただ集中すると、時間を止められるような気がする。本当に針の動きを止めるという訳でなくて。

 


昔、一度だけ、時が止まった瞬間を見たことがある。その場にいたことがある。勘違いなんだろうけれど、確かにあの時は、時間と空間が、シン、と、止まっていた。

 

もしかしたらあの日、私は時空を移動してしまったのかもしれない。あの日の時間が止まる前の私と、今の私は、別の世界にいるのかもしれない。と考えるとワクワクするしハラハラする。

 

パラレルワールドというのは、本当にあるのだと思う。しかもひとつだけじゃない。だからたぶん、平行した空間に、私がもう何人も、居る。ホイッと向こうに行けないかしら。反復横跳びの流れで、タッタッタタッと、行けないかしら。

 

 

 

 

 

雨は落ち着く。


シトシトと降っている雨は落ち着く。サーサーと降っている雨も落ち着く。

 

雨は世界から私を切り離してくれる。ような気がする。いつも。
雪が降る日にもそう思うし、かと言って何も降らずとも、夏や冬の真夜中は、私を一人にしてくれる。この地球上でたった一人。

 


雨の擬音は面白い。
ポツポツ、ザーザー、ポトポト、ザッザッ、言われてみればそう聞こえなくもないし、刷り込みや誘導をされている気もしないでもない。


私も雨に言葉を付けてみたい。けれど大概思い付くものは既に存在しているし、無さそうなものは的を外し過ぎている。

音を文字にするのって、難しい。

 

 

擬態語は、本当にそう聞こえているのかわからないくせに、万人が共有しているから凄い。

 

カエルの鳴き声や、手を叩く音、風の音や波の音のような擬音語は、その場にいる誰もが、共有できる音だけれど、例えばズキズキ、チクチク、ガンガン、ジンジン、そういった痛みの状態なんかは、共有し難い。各々の体の中で起こっていることで、外に音を発している訳ではないから、誰もが同じ表現をするのは難しいはずなのに、ズキズキがどんな痛みなのか、チクチクがどんな状態なのか、みんな知っているしおそらくみんな同じ答えになる。なんでなんだろう。神のみぞ知る不思議。神って凄い。

 

 

 


という日記を、雨が降る度に書こう書こうと編集し続け、なんだかつまんねぇ文章だなぁ、といつも思いながら文字を足し続け、ようやくここまでに至る。結局大したことを書いておらず、消してしまおうかと何度も思ったけれど、じゃあ、雨の降る度にこの日記を見つめていたあの時間は一体何だったの?私たちの関係って一体?私のこの思いはどうしたらいいの?と思ったり思わなかったりして、私たち、もう終わりにしよう、これ以上一緒に居ても幸せになれないよ、、、ごめんね、今までありがとう、元気でね、、、。みたいな心境だったりそうでなかったり、よくわからないけど物事の終わりを見つけるのって難しい。

 

 

 

 

失くしたものは、必ず失くした場所があって、そこに行けば必ずあって、つまり、何かを失くした時、それを手元に戻したい時は、そこへ行くしかないのだと思う。

 

過去に自分が置いてけぼりになっているのなら、そこに戻ってここに連れ戻してあげないといけない。そうしないと、いつまでもいつまでも、私の体のどこかにポツンと、小さな自分が居座り続けて、もしかしたらガンのように大きくなっていくのかもしれない。急に膨らんで、破裂するのかもしれない。

 

 

取り戻したいものは取り戻さねばいけない。時間の軸だってちゃんと辿って行けば過去に戻せる。行きたかった場所に行ける。やりたかった事もできる。会いたかった人にだって会える。

 

 

昨日、私のミゾオチ左あたりに10年くらい潜み続けていたちっこい私が消えた。ずっと居るのはわかっていたのだけど、どうやってそこから出してあげればよいのか、わからなかった。

 

やはり無くし物は無くした場所にちゃんとある。あそこかな?と思う場所に、どんと構えて落っこちている。

 

 

 

もう二度と会わない人とお別れするのは、物凄く悲しい。このままお互い、死に向かっていく。そんな大袈裟なことじゃあないけれど。寂しいとは思わないけれど、この先の私の道の上に、ひょっこりとも現れないのだと思うと、なんだかちっと恐ろしい。またがないからまたねとは言えない。元気でね、という言葉は虚しい。

 

 

 

いつでも自分を正しいと認めてあげたい。それで合ってるよ、間違ってないよ、君は正しいんだよ、それでいいんだよ、と、認めてあげたい。愛でてあげたい。愛されたい。

 

いつだって私は一人だけど、パラパラマンガのように生きている。点が線になるように、何百何千もの私が連なって、一人の私になっている。二ページ目の私は一ページ目の私を、百ページ目の私はそれまでの九十九を、できれば自分も入れて百の自分を、愛してあげたい。

 

 

ヘンゼルとグレーテル

 

 

本当に思っている事は、たぶん言葉にできない。

 

この一文も、どう表現したらよいかわからず、適当な言葉が見つからなくて、結局中学生が作文の授業で書き出しそうな文章になってしまった。

 

モヤモヤするほど凄いことに気が付いている。


たぶんきっと、辞書になっても表せないことが沢山ある。


嬉しい、悲しい、楽しい、恥ずかしい、懐かしい、許せない、虚しい、幸せ、寂しい、こんな高々4〜5文字で、私の思いを表現できるわけがない。


それでも忘れたくないから、仕方なく言葉を使う。欠片でも残しておけば、いつかまた思い出すことができる。ヘンゼンルとグレーテルだって、パンのカケラを落として歩いた。そういうこと。そういうこと。

 

 

どうにもまとめられなくって、文の繋がりが薄い。それほどに何かを得ている。

 

 

こんなのをいつか読み返して、何かを思い出せるんだろうか。思い出したい。