ふと

 

 

ここが、自分の居場所なのかもしれないと思う。

 

前にも、似たように感じたことがあった。

 


ふかふかの暖かい芝生のような所でなくて、フラフラと足場の悪い場所が、私の居場所なんではないかと、結局居心地がよいのではないかと、ちょっくら旅をする度に思う。

 

 

物理的な拘束は強い。

かといって物理的に枠から飛び出したって、精神的な拘束はいつまでも続く。と、この前飛び出した時に気が付いた。

 

 

 

ひとつ、ひとつ、身動きを取る度に、ビクビクと震える。怯える。出来れば居馴れた場でいつまでもじっとしていたい。そうして幸せに暮らしたい。でもそこに居ては幸せにはならない。そういう生き方があることもあるし、私のように無いこともある。だから挙動不審になりながらも、一歩ずつ動いていかねばいけない。

 

 


できないことなんぞ無い。絶対も無いけれど、無い。


これまでを生きてきたこと、そして今日も生き抜いたこと、それが素晴らしく、それが全てである。そうして明日も生き延びることが出来たら、本当に素敵。

 

奇跡という言葉は胡散臭いけれど、どうしたってこれは奇跡である。

 


奇跡はそう起こるものでない。
だからいつでも自分の意志に従っていたい。

 

 

ほう

 

 

もしも法律で、人を殺してもよかったら。

 

人生でたった一人、殺してもよかったら。

 

何にも裁かれず、ひとつの恨みも生まれなかったら。

 

私は人を殺すんだろうか。

 

 

 

と、空気を掴むような、無意味なことを考えてみた。

 

 

 

 

 

法があっても人は殺されてしまうから残酷。

 

 

昔懐かしのものを掘り返すと、一生そこから抜け出せなくなるのでは、と最近不安になる。

 

その日その場所に閉じ込められている何万体もの自分が、ここぞとばかりに手を伸ばして私の足首を掴もうとしてくる。

 

みんな寂しい。
私も寂しい。

 

だけれどそこに居座ってしまっては、幾らそこがこれまでで一番幸福な場所であったとしても、よくないのだと思う。例え死ぬまでで一番よい場所であったとしても

 

だからあんまり、過去の思い出に浸ってみたり、昔好きだったものに触れてみたりするのは、よくない。別によいのだけど。

 

いつだって今の自分が一番強いけれど、それでも同じ私、いつ引きずり込まれてもおかしくないものよ

 

 

 

こう、私は、私の私による私の為の、私だけの道を築き歩き人生を形成していくわけだけれど、どうやったって周りの引力に引かれて、重力に押されて、仕掛けられた石ころに躓いて、落とし穴に気が付いて遠回りをして、そういうふうに生きていて、生きて行かねばいけなくて、それでよいのかと時折疑う。

 

雨が降ったから予定を変えたり、夏だからと明るい衣装を纏ってみたり、好きな人の好きな音楽を聴いてみたり、憧れている人の目線の先を覗いてみたり、電車が遅延していて別の線に乗り換えたり、明日は早いからといつもより早く布団に入ったり、挙げたらキリが無いくらい、私は一人では生きていない。

 


本当によいのだろうか、
本当にそうしたいのだろうか、
はて、さて、真実や如何に、

 


そうであってもこれが全部、私の全部であったらよいなぁ。

 

これが私の人生で、これが私の生き方で、これが私の思考回路で、これが私そのものであったら、それがよい。

 

 

 


今日はもう少し、夜更かしをしよう〜

 

 

 

 

考えない事が多くなった。
何も考えない事はこんなに楽なのかと知った。

 

これまで何に対してそんなに頭を痛め神経をすり減らして考え込んでいたのか、馬鹿馬鹿しく感じてくる。

 


考えない事は虚しい。
ただ酸素を与えられているだけの、抜け殻のように感じる。

 

今もあまり、脳が動いていない。
物凄く薄っぺらい。

 

 

 

何事にも境界線があって、いま、そこを、ウロウロしている。
彷徨っているわけでもそこに居たい訳でもなく、ただそこにいる。

 


時間が止まっている気がする。
止まっているのかもしれない。

 

 

バネキイ

 

 

訳のわからない程、よくないことが続いている。

 

同じ事を何度も考えて、何度も同じところで躓いて、そいでも昔の自分だったら引き返していたところで一歩、歩いてみた。特別何も変わらないけれど、たぶん大きく変わっている。

 


生きねば!

 

はてさて

 

 

来たところに戻る、結局いつもそうなのかもしれない。

 

体に紐を巻いてトラックを引っ張る人がいるけれど、私の腰にも、どうやっても千切れないゴムが括り付けられていて、こう、地球の中心から逃げるように、私はいつもそれを引っ張っている。ある程度までは引っ張れるけれど、力に耐え切れなくなって引き戻されてしまう。

 

その繰り返しをしている気がする。

 


それでも少しでも遠くへ行けるよう歩き続けるのか、ゴムを引きちぎる方法を探すべきなのか、地に根を生やして別の考えを見つけるべきなのか、はてさて。

 

 

トラック

 

 

言葉は難しい。

 

重かったり軽かったり、冷たかったりあったかかったり、尖っていたり丸っこかったかり、透けていたり濁っていたり、遠かったり近かったり、硬かったり柔らかかったり、暗かったり明るかったり、その他諸々、する。

 

言葉の影響力は凄い。
良かれ悪かれ、私の発する言葉は何らかの力を乗せて、誰かの元へ届く。そうして磁石で吸い寄せたり弾いたりするように、その人の行く先を曲げてしまったりする。

 

あぁまた、あぁまた、と、日々感じる。また逸らしてしまった、また捻じ曲げてしまった、

 

どれだけそれが恐ろしいことか、と最近よく思う。声を発するのを躊躇うことがある。

 

 

その分わたしも影響を受けている。いつのまにか流されていたりする。

 

 

陸上競技場のトラックみたいに、それぞれの通る道が決まっていたらなと思う。
誰とも交錯しない、けれどすぐ隣に誰かがいる、自分だけの道が、あったらな〜〜、と、思う。ちょっとよくわからない。

 

 

 

いつも途中まで書いて、なんだか違うな〜と思って、飽きて、諦めて、放ってしまう。数日前の自分を、フォローしてあげている気分。言葉はそういうもの、扱うのが難しい。

 

 

 

おわり