6日前のこと

 

 

光が強くなればなるほど影も濃くなるというのは、事実であって皮肉にも思う。

 

 

薄暗いところに居たい。
隣に座っているのが誰かもよくわからないところで、『あらしのよるに』のヤギとオオカミみたいに、静かに話をしていたい。

 

深海魚のように暮らしたい。
地球の意識の外に居ながら、自分たちの世界の中で満足に暮らしたい。


部屋の角の埃のように、じっと息を潜めていたい。掃除機でも吸い取れないくらい隅に逃げて、隠れていたい。

 

 


陽が差せば差すほど、臓器がジリジリと焼かれて焦げて、溶けていくような気がする。


雲が被さるのを待って、傘を買わねば。

頭の中に

 

 

頭の中にもうひとりの人間が住んでいたら、と思う。

 

ひとりと言わず、3人でも4人でも5人でも、居たらよい。

 


以前ある映画の題材にもなっていたように、喜怒哀楽の感情がそれぞれ頭の中に個々で存在していて、それらがいつも会議を行っていたら楽しい。

 

本体である私自身も、その会議に参加してみたい。
私以外の私が私の中に居たら、ものすごく心強いし、楽しいし、嬉しい。

 

 


他は変えられない。
自分が変わる他に無いのだと、身に染みて感じる。

 

 

変えてやろうでねぇの!と珍しく奮起している。

ミサイル

 

 

よい事と悪い事の比率は、決まっている。


一日の中で、一週間の中で、一生の中で、それは決まっている。

 

と、思っている。

 


だから良くない事が続くと安心するし、良い事ばかりが起こると不安になる。

 

 

 

死の可能性に触れないと、生きていることに気が付かない。死への恐怖や、生きたいという望みに気が付かない。

 


何ヶ月も先の事を考えるのは、少し馬鹿げているのかもしれない。そんなことよりも一秒先の事を思ったほうが、ずっと有意義なんではないかと思う。

 

 

 

はて。何が言いたかったんだろうか。
今、今を生き抜いた事に、安堵している。

 

自然に生きたい。他に侵される事なく、限りなく自分の意志の中で、生き終えたい。

 

 

コウ

 

 

生まれたからには生きた証を残さなければいけない。と、思う。

 

背が重い。

 


生きるという意味を、ほんの少しだけ分かった気がする。


一人で生きるのは、単に息をしているだけ、誰かの為に、誰かと生きることが、生きるということなのかなぁと、あやふやながら思う。

 


色んなものを、どんどん失っていっている気がする。

 

気がするだけで、確かなものが見えないのが、一番怖い。

 

手から離れていっていることさえわかれば、すぐに追い掛けて取り戻せるかもしれないのに、と、恐れる。

 

 


無理矢理酒を飲んで、飲んで飲んで、喉仏あたりまで流し込めば何かが変わるのではないかと思って飲んで、結局いつも変わらない。落差が怖い。

 

 

 

 

あー、ピザが食べたい。
幸と不幸は、すぐ傍にある。

 

100000年後

 

 

地球や、宇宙や、時間軸上には、まだまだ未知のものが、ウヨウヨしていると思う。

 

猿人からしたら子孫が二足歩行をしていることは驚きだろうし、邪馬台国の人々は後世の処罰が自分たちの普段の生活よりもずっと衣食住に富んだ場所で行われていることにショックを受けるだろうし、紫式部清少納言は延々とインクが出てくるペンに感動するだろうし、戦国武将たちは核兵器に恐れ慄くだろうし、江戸っ子は自動車や飛行機を見て唖然とするだろうし、私の祖母はきっと、携帯電話や冷凍食品に夢を持ったに違いない。今この瞬間がこれまでの世界で最新だけれど、私が死ぬ頃、今ではどうやっても想像し切れないことが世の中で起こる。

 

 

そのうち時空を超えられるのではないかと思う。本当に。

 

地球の裏側と一瞬で通信できる世界なんだもの、人間が一瞬で空間を移動したっておかしくない。

 

いつか、私が死んで1000年後くらいに、地球がまだ残っていたら、過去や未来の自分と会えるようになるのかもしれない。

 

ロボットが感情を持つような時代ですもの、何だって起こり得るし、起こし得る。

 

 

 

いいなぁ1000年後。1000年後を生きてみたい。10000年後も100000年後も。人類が滅びる瞬間を見てみたい。地球が滅びる瞬間も。宇宙はずっと続くんだろうか。見てみたい。

 

 

 

すぐそこ

 

 

生きている間人間は不完全で、死ぬ時にようやく完全なものとなる。

 

と、どこかで聞いたことがある。

 


死に向かって生きている。

死なない為に生きているのではなくて、死ぬ為に生きている。

 

 

時折、わからなかった言葉の本意を知ることがある。


完全な死に方をする為に、今、生きている。

 

 


最近生き死にのことばかり考える。
生きたい死にたいと別の場所にいるけれど、いつだってすぐ目の前にいる。

 

 

夏が来れば思い出す

 

 

幸福と死は似ている。気がする。

 

物凄く幸せな時に心地良い風が吹いたら、私は死にたいと思う。

 

息を深く吐く度に、体が溶けて無くなっていったらよい。

 

雪やロウソクが溶けて消えていくように、私も溶けてしまいたい。

 

 

 

過去を振り返るのと、未来を想像するのは、同じくらい苦しい。

 

何も考えず、一呼吸一呼吸して生きている今が、楽で幸せに思う。

 

 

 

夏が終わったら、私もどこかへ行きたい。