ビー、ハッピー

 

 

ここのところ外出続きで、一日一日があっという間に過ぎて行く。

 

何も考えないで生活するというのはとても楽で幸せだけれど、生きているのか死んでいるのかわからなくなる。

 

生きている、今日も生きていてよかったと感じる事が多い今日この頃だけれど、死んでいるような感覚にもなってしまう。

 

 

ただ、私が私であって、私がここにいて、私が昨日何をし今日これから何をするのか、何を思って何を伝えようとしているのか、大抵の人は気が付かない。

 

生きているのか死んでいるのかも、自分でそう位置付け意味付けないと、形にならない。

 

正しいか正しくないかも、結局自分の中でしか存在しない。

 

 

 

 

今日もよくわからない事ばかりだけれど、とにかく生きようと思う。天気もよい。遠くには気球が浮かんでいる。

 

よい事が起こるに違いない。

 

 

 

osho

 

 

どこに戻っても同じ生き方をするのだと思う。

 

先を知っていたって、失敗を知っていたって、道を避け遠回りをしても、結局同じ所へ辿り着いてしまうのだと思う。なんとなくそう思う。

 


憧れている人が読んでいた本を、私も読みたいと思って買ったけれど、いまいちピンと来なくて、二ページ程しか読んでいない。

 

人にもオーラがあるように、本にもオーラがある。
人によって感じるオーラが違うように、本にもそれぞれ感じるオーラが出ている。

故、その人にはとても魅力的な本でも、私にはちと駄目だった。


そういうところまで、吸収できたらよいのにね。そしたらつまらなくなってしまうんだろうか。

 

 

 


気を遣わない気遣いが、無気遣いだった。なんやねん。

 

パンはパンでも食べられないパン、みたいな、よくよく考えると意味がわからないような、感覚だった。

 


結局、相手の考えなんぞ推測ででしか捉えられない。運がよいか自己満足かでしか当たらない。それでよい。

 

自分に無理して相手に寄り添ったって、逸れているだけの時がある。だから無理はしなくていい。

 

 

 

と、いう学び。今日。

 

 

 

猫だもの

 

 

猫はいつも何を考えているんだろう。

 

猫は、人生の7割を寝て過ごし、起きている間の半分を毛繕いに費やすらしい

 

確かにいつも寝ているし、起きたかと思えば毛繕い。止まったと思えばまた毛繕い。終わったかと思えばすぐ眠る。じゃあ残りの時間は一体何をしているんだと思うけれど、狩りやら散歩やら猫の集会やら、しているんだろうな。

 


猫になりたい、なんて人間の過半数が思ったことあるに違いない。
私は四六時中、思う。
物心つく前から猫と暮らしていて、猫より人間のほうが良いと思ったことなど一時としてない。断じてない。

 

 

猫はよい。
猫は素晴らしい。
猫の人生は最高だと思う。

 

 


私が猫になったら、何よりもまず縁側で眠りたい。
我が家に縁側は無いけれど、猫ならどこの家にだって忍び込める。見つかったって「てへ♡」っと逃げ去れば済む。運が良ければ優しいおばあちゃんにチヤホヤしてもらえる。

 

そして人間の膝の上で寝たい。
頭をナデナデされたい。
眠りながら美味しいエサを与えられたい。
猫じゃらしで遊んでもらおう。
私の写真を部屋いっぱいに飾ってもらおう。


それから、太陽の光をいっぱいに吸い込んだ芝生の上で寝転がりたい。
気持ちいいだろうな〜〜〜〜〜〜、人間にでもできるけれど、猫なんて最高だろうな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

眠ってばかりやないかい!!!!!

 

 

 

 

 

 

猫だもの!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

となりのトトロ

 

 

選挙に行った。

 

最近結婚した従兄弟の、奥様に会ってきた。

 

会社への餞別の品を選んで来た。

 

沢山手紙を書いた。

 

昔のことと、先のことを考えた。

 

コーヒーを淹れた。

 

雨風の音をなんとなく聞いている。

 

 


急いでも急がなくても、きっちり同じく、時間が過ぎていく。

 

目上の人たちが言うことは、大体いつも正しい。

 

急いでいる時ほど、信号にぶつかったり、ヘマをして時間を食ったり、する。そう言う時は、潔く諦めたほうがよい。何かのお告げだから。

 

 

 

台風が来たら、過ぎて行きそうになったら、私も乗っかって行きたい。どこにだって行ける。

 

 

トトロが出てきそうな、森の音がする。

 

 


何が言いたいのか、わからない。
なんとなく、落ち着かない。

 

 

しあわせということは

 

 

普段よりちょっと疲れて帰ってきて、ちょっぴりお酒を飲んで、ほんのりお風呂に浸かって、少し頭がクラクラして、いつもより早く布団に入って、好きな歌を無差別に聴いていたら、なんだか人生を一周しているような気分になった。

 

真っ暗闇で、脳がフワフワしている中で、心地よい音と、幸せな布団のぬくもりしか存在しない。こんなに感覚を支配された事はなかったかもしれない。

 

 

とても愛おしい。
とても愛おしくて、この感覚を忘れたくなくて、慌てて電気を点けメモを取っている。

 

 

朝に怯えて、明日が来るのが怖くて仕方が無い普段とは違い、今は今の時間がとても愛おしくて、仕方無くて、手放したくなくて、仕方が無い。そんなことお構いなしに、部屋の掛け時計は律儀にカチカチ動いている。全く薄情。

 

 

 


あんまりあれやこれや書くと、エモエモになって悲しくなってくるから、困る。

 

 

 

 


今、仲の良かった友人が好きだった、曲を聴いている。元気だろうか。またいつか、会えるだろうか。

 

 

 

時計

 

 

落ち着く。
カチ、カチ、カチ、カチ、そうそうこれ、

 

 

やっと電池を入れ替えた。
いや〜、落ち着く。
次はデジタルにしようと思ってしまったことを大変申し訳なく思う。嗚呼、落ち着く。ごめんよう。

 

 

 

循環、というものを最近よく感じる。

お金は世の中を回す、という言葉の本当の意味が、なんとなくわかった気がする。お金は使えば使う程溜まる、といった言い回しだったかな。
昔は、自分のところからお金がなくなってしまうのに、どうやって自分に返ってくるってんだよ、と腑に落ちなかったけれど。

 

お金に関してだけでなく、時間も、使えば使う程、うまく回る。ボーッとしてるのも構わないけれど、意味のある無心でないとダメなんだなぁと感じる。


人との関わりも。面倒臭いと思って人に会わないと、どんどん人に会わなくなっていく。そこでヨイコラショ、と連絡を入れてみれば、愉快なほどに色んな人と会うようになる。

 

 


テンポだろうか。
ポン、ポン、リズムよく何かをすることが、よいのかもしれない。

こまめに水を飲むと血の巡りが良くなるような、そんなイメージで、とにかく循環している。

 

 

 

 

動こう。

 

 

命ある事

 

 

脱北者に密着した、テレビを見ていた。

 

監視の厳しい北朝鮮から脱しても、隣の中国で捕まれば国に還され、最悪の場合は死刑だと言う。更にその中国からも何とか逃れたとしても、親北の国ラオスでまた警備が張られ、見つかれば強制送還だと言っていた。

 

 

国は家族でなければグループでもない。家族でさえ殺すようなご時世、それが国単位になっちゃあ他人もいいところだな、と思った。

 

それにしても、人間ってなんだ、、、、、、と考えざるを得ない。

 

人を殺したって何もいいことないじゃあない。動植物は、有難いことに食として私たちの血となり肉となり生かしてくれるけれど、人殺したってその分寿命が延びる訳でも賞賛される訳でもないのにね。やんなっちゃうね。

 

 

 

同じ人間、同じ時代とは思えない状況に、日本の有名人たちが精一杯同情をして様々コメントを残していたのが、なんだか滑稽だった。

 

籠の中でミミズが雀に食われているのを、可哀想にと見ているような光景だった。

 


結局私も同じことをしているのだけれど、私には恐怖が大きくて同情する余地が無い。

 

 

 


生きていたいね。
今日もご飯が美味しかった。
本当に幸せだと思う。