熟考

 

 

みんな、何かを抱えて、生きているんだなぁ。

と、ふと、思う。

 

消せない過ち、変えられない事実、戻れない過去、やり直せない日々、上書きできない物事やもう会えない人、そういうものたちを抱えて、隠して、忘れようとしたり、心の奥底に、何重にも鍵をかけて、しまっていたり、それらがふいに顔を出してきて、泥沼に突き落とされそうになったり、言葉にできぬ悲しみに暮れたり、世界に置いていかれたような寂しさ、身が二つに裂けてしまいそうなほどの後悔、すべての臓器を吐き出したくなるほどの怒り、全身が溶けていくかのような絶望感、脱力感、色んなものに襲われる。

 

みんな、そうなんだ。

 

 

見慣れたもの、よく知り尽くしたもの、そういうものは安心で安全で、心地よい。

けれどなんにも、刺激のない、惰性で寄り添っているだけのことがある。そういうものに、包まれて穏やかに過ごしている気がするだけで、そう思い込んでいて、本当は足を掴まれて動けないでいたり、する。

 

新しいものは、怖くて、不安で、心許ない。

だけど私をいくらでも、どこまでも、許し、解放してくれる。なにもかもを、広げてくれる。

 

 

 

決断というのは、難しいことではない。

難しいのは、決断の前の熟考である。

と、徳川家康は言ったそうだ。

 

 

いつ、どの場面で、どういう選択をするのか、それはとっても難しい。

私はね、穏やかで、小さな幸せが毎日近くにあって、そういうものをちゃんと見つけられて、大切なものをちゃんと大切にできて、ありがたいことをありがたいと芯から感じて、がははじゃなくていい、ふふふって、笑っていられる、そういう日々が欲しいだけなんだ。

 

 

よく考えねば。

 

 

 

 

我思う、故に我在り

 

 

どの島がどの国のものだとか、この絵はあの人の絵だとか偽物だとか、世の女の子たちはチーズ料理に夢中だとか、株価が暴落しただとか、よその大統領の言っていることとか、そんなこと私にはわけわからないよ。

 

相次ぐ地震も、教師の暴行や生徒同士のいじめや、親子間の殺害も、脱税問題も国会議員の言い間違えも、虚偽も隠蔽も、もううんざりだ。

 

 

なんとなーく、心がモソモソする。

 

休みの日、大好きな人たちと会って、ゆっくり家で眠って、部屋のものをごっそり片付けて、愛おしい猫と触れ合って、お笑い番組を観て、お酒を飲んで、好きな歌を口ずさんで、音楽を聴いて、色々と、好きなものに触れたのだけど、なんだか、満たされないような、心がザワザワするような、感じがしている。

 

こんな日もあるよなーと、今はとりあえず開き直っているけれど、今だにこういう感情の落差に一喜一憂して、たまに処理できないことがある。

 

 

冬にももう堪えかねる、でももう花粉が飛んでいる、花見をしたかと思えば夏が来る、暑さにも参って飽き飽きすれば、おしとやかに秋がやって来て、あっというまにまた冬。ずーっとずーっとその繰り返しだけれど、生きているだけで儲けものだ。本当に、素晴らしいこと

 

 

働きたくないし、とりわけ冬は外に出たくない、大好きな人たちにさえどうにも会いたくない時もある、やりたいことは沢山あるのになんとも動けない時もある、そういうことにうんざりすることもある、落ち込んで不貞腐れて眠り込むこともある、朝になればすっからかん、そういうことの繰り返し。それでいいじゃない。なんにもがんばらなくていい。息をすること。生きること。それでいいじゃない。私が今ここに、いること。それでいいじゃないの。

 

 

 

 

今日

 

 

今日。

今日はとってもいい一日だった。

 

血液が、血管を震わせて、手の指先まで波打つ感覚。

 

親しい人が、自分をわかってくれているこの瞬間。

 

目に見えたものを通り越して、愛しく思える存在のあること。

 

 

何十億もある命、意識、細胞の中で、私が今ここに生きているということ。

 

 

 

ありがたく、そして尊い

この命燃え尽きて灰すらも地に還り無くなったとて、生き抜いてやると、思い誓った、今日。

 

 

 

12月31日

 

 

 

12月。

あっというまに12月かと思ったら、あっというまに冬至、あっというまにクリスマスであっというまに年越し、そんでもってあっという間に春が来てあっという間に夏休み、あっという間に食欲の秋であっという間にまた雪が降るんだろう。あぁなんて早いこと。

 


今年は本当に、バタバタだった。頭の中が。

おんなじことをぐるぐるグルグル、ずっと考えていて、沢山悩んで沢山迷って、ちょいと進んだかと思えばズンと退がってしまって、それでも結果としては、辛うじて海面から顔を出せたというかんじ。

精神的に結構辛くて、その辛さをどう乗り越えようかばかりを模索していた。無意味な日々も沢山あった。見て見ぬふりをしてみたり、究極の楽観主義に徹してみたり、喝を入れてみたり自棄になってみたり、色々試した結果、去年までに比べてうんと、強くなったと思う。「強い」というのはもの凄く抽象的だけれど、でもたしかに、強くなった。

 

 

 

来年は、今まで脳の中だけで忙しなく動いていたのを、ババンッと外に飛び出て、目に見えた行動に移そうと思う。考え方も少し変えたい。簡単に変えられるものではないけれど、今ならできるような気がしている。善は急げだ。

 

 

 

 


時折麻薬のように気分がハイになって、「私の目の前には明るい未来しかないわ!」と思う時や、逆にもう無理だ、もう何も見えない、何もできない、動けない、と泥沼の闇に吸い込まれてしまうような時とが、ある。どちらも怖い。ただ、今が丁度そういう時期なんだろうと思う。

なかなか操縦するのは難しいけれど、私の中にもう一人私を飼って、というよりもう一人に飼われるようになるのだろうか、ガンダムの中に人が入って操縦するみたいなかんじで(よく知らないけれど)、そうやって、自分で自分をうまく飼い慣らせるようになりたい。ならねば。

 

 

 

さ~て、来年が楽しみだな!

同じ一直線に、12月31日と、1月1日とが続いているのに、年が変わるというだけで、気持ちがリセットされる。有り難くリセットしよっと!

 

 

 

セルフ・コンフィデンス

 

 

 

思えば、小さい頃から自分に自信を持ったことがなかった。

 


一瞬の、ちっぽけなものならあっても、容姿、性格、知能、身体能力、特技、その他自分を取り巻いているものにまで、何か胸を張って人に自慢できるようなものが、なかった。

 

 

 

日本人らしいと言えばそうなのかもしれない。恥の文化、謙虚な姿勢、よく言えばザ・日本人ということなのかもしれない。

 

 

 

けれどそれって、物凄く残念。

自己主張の激しい人はあまり好きでないし、自信家すぎる人も得意ではない。

 


ただ、外に出すでもなく、自分の内に秘めておくだけの、秘める必要もないのか、自分で満足できればそれだけでよい、そういう自信は絶対的に必要だ。と、この歳にしてやっと気が付いて、あぁこれまでなんていう生き方をしてきたんだろうと、ちと悲しくなる。

 

 

 

過信するのもよくないけれど、うまい具合に、自分を認めて、自分に自信をつけて、自分を好きになれたらよいなぁ。素敵な人生を送りたい。誰がどう思おうと、私の人生サイコーハッピーサンキューサンキュー!ってかんじの、素晴らしい人生。

 

 

 

 

 

 

今日は天気が良くてよかった。

いつにも増して鳥がピヨピヨうるさい。

元気なことはいいことだ。

 

 

 

 

 

 

明日に向けて、今日も生きるぞー

 

 

優花

 

 

 

寂しい。

夜は寂しい。

 


酒と煙草と音楽で、紛らわす日々。

あー!寂しい!

 


体に悪かろうが寿命が縮もうが、そんなの知るかー!明日の夜まで生きられる100パーセントの保証などないのだ!私は生きるよ!

 


にしてもどうにも、三半規管が弱くて参る。

近頃は半規管と言うらしいとかなんだとか、聞いたようなそうでもないような。

 


毎日ずっとコーヒーカップでもぐるんぐるんに回して乗っていれば、強くなるもんなのかしら。そんなの知らんわー!私は生きるよ!

 

 

 

今日は早く寝よう、と毎日思いながら毎日夜更かし。

23時には寝よう、が、0時には寝よう、が、どうやっても過ぎてしまう。眠たくないと眠れない。ふくろうの気分。ふくろうもこんな気分?

 

 

 

人間は昼行性なんて、誰が決めたのかしら。

習慣もあるだろうけれど、私は根っからの夜行性だ。と、ずーっと、思っている。

世の常の上で生きられないのは、ちぃと辛い。

 

 

 

旅に出たい。

近くだっていい。

旅だと思えるところならどこでもいい。

この、毎日の、閉塞的な、刑務所みたいに思えるような、ところから、えいやっと飛び出して、私は、旅をしたい。

 

 

 

本当はなんだってできるのだ。

なにもかもすべて、自分の支配下で、だから本当は、どうにだってできるのに、何をこう、シュンっとなって、体育座りをして、生きているのだ。

 

 

 

このまま、六畳一間の長四角い箱の、静かで真っ暗い空間の中で、死んでたまるかー!

 

 

 

 

 

 

という、酔っ払い。

今日も生かしてくれてありがとう、生きていて偉いぞー、明日も生きるぞー

 

 

ラッキーセブン

 

 

 

落ち込む。

こんなに落ち込むのは、結構久しぶりで、怒りの後の悲しみの後の虚しさを抜けて、ボーッとしてしまう。

 


ちょっと前までだったら、もうそれはもう、泣いて泣いて盛大に泣き喚いて、本当にお先真っ暗といったかんじ、明日の楽しみさえ闇に葬られて途方に暮れて、酒に八つ当たりして当たり返されて、グラングランに酔って吐くまで飲んで、泣きながら意識が朦朧としたまま眠って、結局翌日も二日酔いで、なーんにもいいことがなかった。

 

 

 

少し大人になったと認めてやろう。

上のひと幕をしないだけマシになった。

 

 

 

 


たぶん、人生の、というよりももっと頻繁に、日常生活の中の大まかな括りの中で何度か、裁かれているのだと思う。神だか仏だか先祖だか、未来の自分になのかはわからないけれど、そういう私の全てを知っている人物が、ある一定の期間ごとに、私を審判している。

 


よい生き方をしていれば褒美を、よろしくなければ罰が与えられる。

今日はきっと、満場一致で不可だったんだろう。あー、あれやこれや討論している様が頭に浮かぶ。全員が不可の札を挙げている様子も。

 

 

 

 


物事は何でも考え様だ。

作り話でも何でもいい。

いかに自分を飼い慣らして生きていけるか。

いかに自分だけのこの生活を豊かにし、自分にしか生き得ないこの人生を幸福にするか。

今日はちぃとツイてなかっただけだ。

 

 

 

おお神よ仏よ先祖よ未来の私よ、

今日はちっと反省して、また明日からがんばります。次の審判には負けないように。

 

 

 

 


私の中のジンクスで、悪い事が起こったあとは同じ度合いの良い事が起こる。考え方を変えればむしろラッキーなのである。

 

 

 

バッチコーイ、幸福!

全力で受け止めるぞーーー!

 


 

 

 

 

 

 

 

よーし、お腹が空いてきた。

食欲があればなんでもオッケーだ。