透明になりたい時がある。


主に人混みにいる時がそうで、人混みが凄く嫌いで、知らない人とぶつかったり、ぶつかってもごめんの一言を言い合えなかったり、ダラダラ歩いている人の後ろをノロノロとついて行かねばいけなかったり、雑音にしか聞こえない人の声に埋もれたりして、もう嫌だ!もう!嫌だ!と思った時、時折、私は自分を透明人間だと思うことにしている。

 

私は透明だ。私は誰からも見えていない。だから私はここにはいない。だからこのもどかしさも鬱陶しさも嫌悪感も、全部存在しない。

 

と思うと、幾ばくか楽になる。人との接触も無かったことになり、牛歩よりも一層遅く歩くことができ、雑音は私の体をすり抜けていく。

 

 

透明になると自由になる。
誰も気にしない。誰の目も気にしない。私はここにいなくて、誰からも認識されず、それはちょっぴり寂しいことだけれど、空を飛べるんではないかと思うくらい、全身に覆い被さっていた良くないものがドスンドスンと落ちていく。

 

 

 

今日も少しばかり、透明人間になった。