失くしたものは、必ず失くした場所があって、そこに行けば必ずあって、つまり、何かを失くした時、それを手元に戻したい時は、そこへ行くしかないのだと思う。

 

過去に自分が置いてけぼりになっているのなら、そこに戻ってここに連れ戻してあげないといけない。そうしないと、いつまでもいつまでも、私の体のどこかにポツンと、小さな自分が居座り続けて、もしかしたらガンのように大きくなっていくのかもしれない。急に膨らんで、破裂するのかもしれない。

 

 

取り戻したいものは取り戻さねばいけない。時間の軸だってちゃんと辿って行けば過去に戻せる。行きたかった場所に行ける。やりたかった事もできる。会いたかった人にだって会える。

 

 

昨日、私のミゾオチ左あたりに10年くらい潜み続けていたちっこい私が消えた。ずっと居るのはわかっていたのだけど、どうやってそこから出してあげればよいのか、わからなかった。

 

やはり無くし物は無くした場所にちゃんとある。あそこかな?と思う場所に、どんと構えて落っこちている。

 

 

 

もう二度と会わない人とお別れするのは、物凄く悲しい。このままお互い、死に向かっていく。そんな大袈裟なことじゃあないけれど。寂しいとは思わないけれど、この先の私の道の上に、ひょっこりとも現れないのだと思うと、なんだかちっと恐ろしい。またがないからまたねとは言えない。元気でね、という言葉は虚しい。

 

 

 

いつでも自分を正しいと認めてあげたい。それで合ってるよ、間違ってないよ、君は正しいんだよ、それでいいんだよ、と、認めてあげたい。愛でてあげたい。愛されたい。

 

いつだって私は一人だけど、パラパラマンガのように生きている。点が線になるように、何百何千もの私が連なって、一人の私になっている。二ページ目の私は一ページ目の私を、百ページ目の私はそれまでの九十九を、できれば自分も入れて百の自分を、愛してあげたい。