なながつみっか

 

 

人の優しさが悲しい。
嬉しいと悲しいは表裏一体なのかもしれない。

 

人の優しさが悲しい。
そっとしておいてくれ〜〜〜、頼む〜〜〜、そっとしておいてくれ〜〜〜、と、思う。

 


物凄く有難いと思う。
喉を締め付けられて言葉が出ない程、感謝し切れないことがある。多々ある。

 

酷く嬉しい。
親切にしてもらえること、笑顔を向けてもらえること、目を見てもらえること、名前を呼んでもらえること、思い出してもらえること、存在を認めてもらえること、本当に有難くて、幸せだぁなぁ、と、思う。

 

けれど私は人様から親切を頂けるような生き物ではない、身の丈に合っていない、人の、触ったら壊れてしまうような貴重な優しさと、私という生き物が不釣り合いで、どうかその時間を無駄にしないでおくれ、どうかどうか、と、思ってしまう。

 

それはそれは地面を掘ってブラジルに行こうとするくらい時間の無駄で、蛍光灯の光で海の水を全て蒸発させようとするくらい無意味で、白紙に白を塗りたくるくらい価値がわからない。

 

 

 

誰かの人生を犠牲にするのは、いけない。0.1秒でも、取ってしまうのはいけない。昔何かで、「0.1秒の重みを知るには100m走で2位だった人に聞いてみろ」というような表現を聞いたことがある。つまりそういうこと。そういうこと。

 

こんなこと、言っても仕方がないのだけれど、もらった分のあれやこれやを、返すことができないから、どうしたもんだ、と悩む。


嬉しいんだか悔しいんだか涙が出る。
情けなくて申し訳なくて、更にはこの感情を上手く処理出来ないから、涙を流して対応することしかできない。所詮私の脳みそなんてそんなものよねぇ。

 

 

 

時折、蒸発してしまいたくなる。
単に水が蒸発して消えるように、蒸発してしまいたい。

 

石ころになりたい。
道端の隅の、誰の邪魔にもならないところにいる、石ころになりたい。時折小学生の暇潰しや、鬱憤を抱えている人の憂さ晴らしに、気付いてもらえればよい。

 

 

夏の晴れた朝に、時折取り残される。寂しくて恐ろしい。

 

 

 

 

というのを、夏の盛りの日に、書きかけたままだった。そうして今、もう一度同じことを考えている。