汚れちまった悲しみに

 


中学生の頃、国語の授業で中原中也のこの詩を習った。

 

当時はこの詩の初めから終わりまで一切意味がわからず、先生も深いところまで説明をしてくれないし、どうして国語の教科書はこの詩を扱っているのか、そして彼はどんな思いをこの詩に込めているのか、とにかく本当にピンと来なかったの。

 


それが今日、何故だかふとこの詩を思い出して、この詩を習った時のことを思い出して、そういえば"汚れちまった悲しみに"の続きはなんだったかなと思って調べてみたら、そうしたら不思議な程にスッと意味が入ってきてね、なんだか非常に感慨深く感じましたのよ。

 


本当にあの頃は、全く、本当に、ちっとも、理解できていなくて、"悲しみ"というワードが入っているのに悲しみの詩であることすらわからなくて、悲しみが汚れるって何?悲しみに雪が積もるって?どうして何度も"汚れちまった悲しみに"を繰り返すの?と、わからなすぎた記憶だけが濃く残っている。

 

 


今、実際この詩が何を表しているのかは私の解釈でしか理解し得ないけれど、それでもしんとした寂しさ虚しさと、ぼやけた鈍い恐怖を感じる。そして時の流れと自己の変化をひしひしと感じ、なんとも言えぬ感慨深さがやってきているのである。