時を捕まえる

 

 

一年分の砂時計が、日本のどこかにあると、聞いたことがある。

とても大きいらしいんだが、これが一年か、とも思うらしい。

 

一年分の掛け時計は、どこかにあるんだろうか。ないか。きっとその砂時計よりも、うんとうんと、大きくなければいけない。数学は全くできないし、世界で一番高いビルがどこにあるのかわからないけれど、それにすら掛け切らない大きさなんだろうな。正確に一秒一秒を刻まないと、363日目とか、367日目とかに、針が一周回ることになるんだろう。

 

 

 

時間は、回転寿司のようなものだ。
グルグルぐるぐる回り続けて、次々と色んなものがやってくる。目の前を通り過ぎる約五秒くらいの間に、それを取るか取らぬか決めねばいけない。ただ回転寿司と違うのは、二度と同じ出来事が巡って来ないことと、判断するまでの時間がもっと短い時があるということ。

 

 

だから好きな人とは何度だって会ったほうがよいし好きな所へは何度も行ったほうがよい、好きなものを幾らでも食べ好きなものを何回も観て好きな話を延々と続け好きな事を何度だってしたほうがよい。

 

どれだけずっと好きなことでも、ふと忘れることがある。苛立たしいほどに悲しい。だから好きは何度だって繰り返したほうがよい。そうすべきである。


記憶はあの世へ持っていけないし、思い出も好きな人やものも連れていけない。好きという気持ちさえ忘れてしまうかもしれない。全て叶うのかもしれないけれど、そうでないのかもしれない。

だから今のうちに、出来る限り何度だって、重ねたほうがよい。

 

 

 

と、いうのを随分と前に書いて置きっぱなしだったけれど、読み返してうん確かにな、と思えたのでちゃんと残しておく。こういう日記のようなものは、昔の自分と対話しているようで、面白い。