ポピー

 

 

 

考えることって、物凄く時間と、頭脳と、体力を使う。

 


毎日バタバタしていて、あれもこれもあとでいいや~、あとでゆっくり考えよ~うと思えどその"あと"が来る頃には果てさて私は何を考えていたんだろうかと忘れてしまう。最近それをずっと繰り返している。

 


今日は寝る間も惜しんで考えることにした。しかしながら眠い。(ビールを飲みながら)

 

 

 

 


毎日、他の影響を受けているなぁと感じる。今のご時世、SNSからの影響はとりわけ凄まじい。情報が入り混じっているので、よく自分の目・耳・脳・感覚で捉えて判断せねばいけない。

 


今日、ある言葉におぉ、と思った。

「自分は他者に映っている」というような内容だった。近しい親しい人の性格や雰囲気が、自分のそれと似通っている、ということだった。仲の良い人が素晴らしい人であれば自分もそうであるし、あまり敬えぬ人ばかりであれば、自分もまたそういう人間なのである、と、そういったこと言っていたのだった。

 

 

 

それを考えた時、今ではもう、この人!と言える人は指折り数えるほどでもなくなってしまったけれど、それでも「最も親しい人」を思い浮かべる時に迷いなくパッと出てくる人たちは、少なからず私が尊敬していて、ここが本当に素晴らしい、と思うところがあって、その人たち同士の雰囲気もやっぱり似ていて、優しくてほんわかしていて、愉快な人だなと思う。

 


親しいとまではいかぬものの、これからもずっと付き合っていきたいなぁと思って連絡をする相手もやはり、素敵な人たちばかり。

 

 

 

まぁでも、そらぁ自分が好きな人と関わっているわけなんだから、その人たちがいい人に見えるのは当たり前なんだけれど、それでもやはり、そういう人たちはみな、誰から見ても素晴らしい人たちだと思う。

 


昔仲の良かった人、一時期仲の良かった人も沢山いるけれど、う~んと思うところがあって関わらなくなっていったし、今そういう人たちのことを思い出してもやっぱり、尊敬できないなと思う。

 

 

 

だから結局なんやねん、と思い始めたけれど、そういう素晴らしい人たちが自分の近くにいることと、自分自身に対しても、誇りを持ってよい、いや持つべきなんだ、how wonderful!!! と、いう気持ちで今日はとっても最高な気分です。

 

 

 

 


寝る間も惜しんで考えるぞ!と意気込んだ昨晩は呆気なくすぐ眠りに就いて終わったので、結局今朝のわたしが引き継いで書いている所存である。なんだか二人分生きている気分。

 

 

 

 


この前サッカーワールドカップが始まりましたが、始まった途端、これまでサッカー好き感を一切出していなかった人たちが唐突に次々とテレビに食らい付き、様々なコメントを出し始め、青色のユニフォームを着て街を歩き、顔に日の丸のペイントをし、日本の結果に一喜一憂していて、私はそれを不気味だなと思っている。

 


いやそらぁ国を代表した一大イベントですもの、国民として注目し応援するのは当たり前でないか。そうは思うのだけれど、なんだろうこの違和感。オリンピックの時期にも感じていたこの違和感。

 


私だってスポーツは好きだし、ルールもわからずサッカーやラグビーを観に行ったこともあるし、テレビでバレーやバスケを見出せば画面に釘付けになるのだけれど、なんだろうなんだろう、なんなんだろうこの違和感は。

 

 

 

まぁでも一番不気味なのは、国家一大プロジェクトたるワールドカップやオリンピックにほとんど無関心な私なのかもしれない。

 

 

 

ところでワールドカップをW杯と書くの、ワールドのWはわかるとしてカップの部分を"杯

"と書くところ、改めて考えたらイカしてるな~、と思った。ガンバレ、ニッポン!(は?)

 

 

 

 

 

 

電車からポピーの咲いているのを見て、そう言えばわたしはポピーが好きだったな、と思い出した。いつもこの時期だったんだろうか、電車に乗った時、沿線に咲いているのを見るのがとても好きだった。

 


田舎って本当に、素敵だなぁ~。