というもの

 

 

 

人生には、比率や確率や定めのようなものが、ある。と、最近常々思う。

 


前にもそんなようなことをここに書いていた気もするけれど、ある一定の期間の中で、よいことと悪いことの比率は決まっている。

 


また、よいことが何度か連続すると、しばらくそれは続くし、悪いことが続けばまた、それはしばらく続く。そういうものだと思っている、というより、わたしの人生は実際そういうふうにできている。みなも同じような気がする。

 

先日、本当に笑ってしまうほど、よくないことが続いた。どれだけ注意しても連鎖して、どれも取るに足らないちっぽけなことではあったけれど、それでも何度も続いてしまうとよくない感情も起こる。それをこれまでの経験から、「あ~、はいはいそういう時期ね、いまそういう時なのね、はいはいわかるわかるぅ~、はいどうぞがんばって~」という心持ちで対応すると、概ね寛大な心で受け入れることができるのである。

 

 

自分のことは自分が一番理解していないとは言うけれど、本当に、自分を研究して理解してうまく操作できるようになると、楽しい。人生は何倍もよくなる。

 

 

 

(完)

 

 

 

 

 

 

 


続きまして、失敗は成功のもと、という話。

 


なんでも成功して、ずっとそうやって過ごせるのなら、それが一番いいのかもしれない。

 


ただわたしは、本当によく失敗して、小さなことから結構痛いことまで、呆れるほどに失敗して生きてきて、ちょっと前までは「あ~、もう、なんでわたしはこんなことで、こんなんばっかり、あ~~~~」、と、思っていたのであるが、最近は考え方が変わった。

 


失敗こそが大切な経験で、マイナスとマイナスを足すとプラスになるみたいな、一見ダメに見えるけど後々強大な力を発揮するみたいな、それほど大切というよりも必要なことなのだと!わたしは!ついに!気が付いたのである。

 


失敗しないと見えない景色、わからない感情、そういうものが本当に沢山あるのだと、何年も何年も失敗を重ねてきて、やっと気が付いた。成功は、そのうちできる。何回も何回も失敗していれば、いつかは、いつのまにか、成功している。けれどいきなり成功してしまったら、失敗した時に知る色んなあれこれを、全く知らないで終わってしまう。それがどれだけ恐ろしくて、得るものが少ないのか、ということを、最近ひしひしと感じるのである。

 


また。それと関連していると思うこと、

人や何かの場面に接する時、自分も以前その人と同じ立場に立ったり、その場面に遭遇したりした経験がないと、相手の考えや感情は理解できないのだ、ということ。察することはできても、根っから理解できることはない。(同じ経験をしていたとて、100パーセントは分かり切れないけれど)

 


だから、今の自分だけの考察で勝手な意見を言ったり行動したりするのは、違うなぁと、思うのである。どれだけ間違っていると思うことを相手がしていても、どれだけ受け入れられない場面に置かれたとしても、なるべく否定をしないようにしたい、いつかそれらがわかる時が来るはずだから。

 

 

 

 


ここぞ、という時に成功できるよう、今はまだまだいっぱい、失敗しておこう。千手観音みたいに、沢山手を出して、色んな物事をキャッチできるように、しておこう。