熟考

 

 

みんな、何かを抱えて、生きているんだなぁ。

と、ふと、思う。

 

消せない過ち、変えられない事実、戻れない過去、やり直せない日々、上書きできない物事やもう会えない人、そういうものたちを抱えて、隠して、忘れようとしたり、心の奥底に、何重にも鍵をかけて、しまっていたり、それらがふいに顔を出してきて、泥沼に突き落とされそうになったり、言葉にできぬ悲しみに暮れたり、世界に置いていかれたような寂しさ、身が二つに裂けてしまいそうなほどの後悔、すべての臓器を吐き出したくなるほどの怒り、全身が溶けていくかのような絶望感、脱力感、色んなものに襲われる。

 

みんな、そうなんだ。

 

 

見慣れたもの、よく知り尽くしたもの、そういうものは安心で安全で、心地よい。

けれどなんにも、刺激のない、惰性で寄り添っているだけのことがある。そういうものに、包まれて穏やかに過ごしている気がするだけで、そう思い込んでいて、本当は足を掴まれて動けないでいたり、する。

 

新しいものは、怖くて、不安で、心許ない。

だけど私をいくらでも、どこまでも、許し、解放してくれる。なにもかもを、広げてくれる。

 

 

 

決断というのは、難しいことではない。

難しいのは、決断の前の熟考である。

と、徳川家康は言ったそうだ。

 

 

いつ、どの場面で、どういう選択をするのか、それはとっても難しい。

私はね、穏やかで、小さな幸せが毎日近くにあって、そういうものをちゃんと見つけられて、大切なものをちゃんと大切にできて、ありがたいことをありがたいと芯から感じて、がははじゃなくていい、ふふふって、笑っていられる、そういう日々が欲しいだけなんだ。

 

 

よく考えねば。