NHKかなんかの、不登校の高校生くらいの子達の、ドキュメンタリーを観ている。
各々、何らかのきっかけで学校に行けなくなって、枠から外れてしまって、戻りたいと思っていても戻れなくて、そして共通して意識は死に向かっている。
あぁわかるなぁ。
よぉくわかるよぉ、と思いながら、(ちょいと酔っ払いながら、)見守っている。
日本は特に、そういう国なのかもしれない。
一律性、大衆、マジョリティ、皆と同じである事が正しい事で、そこから一歩外に出てしまうと、悪者になりかねない。
そういう境目で迷ってしまうと、この日本で生きていくには生き辛くなってしまう。
私は少し大人になって、彼らの悩みを見ていると、「大丈夫だよ、皆と同じでなくていいんだよ、むしろあなたはとっても素敵だよ」と、言いたくなってくる。そんなこと言われてもうまく生きられない彼らの気持ちもよぉくわかる。
私も今だに、実は、死に向かいながら生きているんだ。
死なないように、死にたいと思わないように、時折自分を誤魔化しながら、生きている。
これが正しいのかはよくわからないし、前より色んな事をぼやかすようになったし、何が一番なのか、やっぱりわからない。
人混みの中にいると、自分がここに存在しているのかわからなくなることがある。それで、透明人間になったつもりで闊歩してみると、とても清々しかったりする。
生きるのに価値などなくてもいいと思う。けれど価値を最重視するようなこの場所では、とても生きにくい。
大人になった私は別として、未成年の子たちなんか絶対に、周囲の大人の援護が絶対的に、必要だ。彼らなんて、産まれたての子鹿みたいなもんだから。いくら大人びている子だってなんだって、子鹿は自力で足を震わせながら立ち上がるだなんだと言われたって、うるせぇなんであったって、そうなのだ。
立派な大人になりたい。
地位も名誉も金も、要らない。
あれば力になるけれど、それらがなくとも、ない場所で、立派になりたい。
今までは守られる側で生きてきたけれど、これから少しずつ、守れる立場で生きていきたい。
なんだか初めて、そんなこと思ったかもしれないなぁ。(酔っ払いも含む)