「〇〇ちゃんは、セロリ。」
これは小学生の頃あまり仲の良くなかった(というか一方的に嫌われていたので私も嫌いだった)友達に言われた言葉で、〇〇ちゃんとは私の事なのだが、どういうことかというと、セロリ=その子が嫌いな野菜=私の事が嫌い、ということであって、私はその意味を別の友達づてに聞いて知った。今考えれば小学生らしい可愛らしい例えにも思えるけれど、当時は結構ショックを受けたもので、今だに思い出すと少し悲しくなる。
しかしながらセロリなんて日常生活であまり関わらないので、その過去を思い出すことも少ない。何故なら私もセロリが好きでないから。その事実もまた、過去の悲しみを倍増させるのだ…
ところが先日、一日に三回もセロリに遭遇することがあった。
一度目は野菜スムージーを飲んでいた時。
13種くらいの野菜が入っているらしいのだが、どうもクセのある味がする。それから原材料を確認してやっと、セロリが入っていると気付いた。13種も入っている上にシロップも入った甘々スムージーだったのに、セロリの威圧感がとにかく凄い。
二度目はなんだっただろうか。忘れてしまったけど、テレビで見たような気がする。
そして三度目も、テレビで。
10歳でプロの野菜ソムリエ?とやらになった少年が、番組で美味しい(らしい)セロリを紹介していた。(勘弁してくれよ…と思ってそこからは見ていない)
そういうことってよくある。
たぶん、本当はもしかすると毎日、どこかでセロリと関わっているんだと思う。ただ、セロリを見かけた時にたまたまその過去を思い出してしまった為に(セロリを見て毎回思い出す訳ではない)(と思う)(思い出していないかは思い出していなかったらわからないので…)、セロリに対して敏感になって、意識的にセロリに反応してしまうことによって、なんか今日セロリいっぱい見るなぁ…と思う訳なんだ。そうなんだ。
セロリ以外にもこういう体験がよくあるから、きっとそうなんだ。
私は今だに、その子が嫌いだ。(このこと以外にも色々あったので。)ただ、当時のその子を、であって、今の彼女が嫌いなのではない。(大人になってから会った彼女は、ちゃんと大人で、愉快で、むしろ好印象であった)
誰だってそうなんだろう。(たぶん)
好きな人を嫌いになったり、嫌いだったものを好きになっても、その当時のその気持ちは、覆せない。それでいいのだと思う。でも時々思い出は、重いでぇ〜
なんつって…
背負い切れなくて、投げ捨てたくなる時もあるよね。
でもね、私は気付いてしまったんだよ。
スムージーを飲んだ時のあの威圧感、私は正直狼狽えた。そして感銘を受けた。どうしてお前は他の12の野菜を全て消し去る程の力を持っているのか、どうしてそんなに強大な存在感を身に纏っているのだ、と。
そこで私はハッとしたんだ。いいじゃない、セロリっていいじゃない、お前もセロリでいいじゃない、むしろセロリがいいじゃない、どんなに人混みに紛れても決して埋もれない、セロリのように生きたらいいじゃない、とねぇ…(しみじみ…)
そしてついに、過去の自分は報われた。
…なんの話?
セロリの話です。
話は変わるけれど、私は長年の悩みをどうにかしたい。
それは、「おいしい」に感情を込められないことだ。
グルメリポーターみたいに、あそこまで大袈裟にやりたいわけではないけれど、あそこまでできるのも羨ましく思うし、私の友人にも何人か、実に美味しそうに食事をする人がいる。一緒に食べていて幸せな気持ちになるし、何より本人がとっても幸せそうだ。
「ん〜!おいし〜い!」
私はなぜかこの一言が言えない。
普段の接客業では、どう見たってお前が悪いだろ客だからって偉そうにすんなお客様は確かに神様かもしれないけれどお前のそれは神様でなくて王様だそして私たちはお前の奴隷ではないさっさと帰れ二度と来んな、と思うようなお客相手には「お客様!大っっっ変申し訳ございませんっっっ(非常に申し訳なさそうな顔)(90度のお辞儀)(5秒静止)」が出来るのに、どうして「ん〜!おいし〜い!」は言えないのだろうか。
私だって、美味しいものと美味しくないものの区別はするし、心の中では劇団四季並みの表現力で食事をしている。でも、それをうまく外に出せないのだ。それでいつも誰かと食事をする時は、しかもそれがそのご飯自体が目当ての食事の時などは、いつも食リポに悩まされるのである。
悩みは尽きないが、私はこれからセロリなる人生を過ごし、そしていつか必ず、セロリを口一杯に頬張り、満面の笑みで「美味しい!」と叫ぶのである…
〜 続く 〜 (続くの?)