しゃぼん玉

 

 

昨晩眠る前に、昔好きだった邦楽を聴こうとしたら、同じバンド名だけど全く違う海外バンドの曲で、世界は広いなぁと思いながらそのまま寝た。結構いい曲だった。

 

真っ暗闇で、全く知らない曲を聴いていると、自分が自分でないような感覚になる。本を読んでいる時や、映画を観ている時にもそういう感覚になる。別の世界にいるような、というよりこの世界に自分しかいないような、外から見たら私は死んでいて、内から見たら皆が死んでいて、そもそも生と死、この世とあの世、という区別も無く、心地が良い悪いの線を越えて、無の状態に近付く。でも完全な無にはなれない。久しぶりに朝が来るのが惜しいと思った。

 

 

7年くらい前に買った本をふと思い出して、読み返してみた。やっぱり半分以上忘れている。でも肝心なところはちゃんと覚えている。それからやっぱり、好きだなぁ。でもいつか、好きじゃなくなる日が来るんだろうか。次にまたこの本を読んだ時、えっつまんないじゃん、なんでこの本が好きだったんだろうって、思ってしまうことも、あるんだろうねぇ。諸行無常

 

 

小学生の頃、よく家に来ていた生協のお兄さんの誕生日に、彼の仕事の様子を描いた絵をプレゼントしたことがあった。お礼に手紙を貰った。それを思い出して、その手紙を探し出して読んでみた。誠実そうな、綺麗な文字。もうどこで何をしているのか、今何歳くらいなのかもわからないけど、今になってキュンとしている。「過去」という、絶対的な強さに、時折負ける。

 

 

少し前まで、お酒を飲んだ後にコーヒーを飲むと死ぬんじゃないかと思っていた。根拠はない。私の体内で、細胞が?、神経が?、それはイカン!と言っていたので、ずっとそのタブーは犯すことなく生活してきた。けれどある時、飲酒後にどうしてもコーヒーが飲みたくて、まぁいっかと思って飲んでみて、以後死ぬ気配がない事にシメシメ、もう何の気にもせず飲んでいる。思い込みとは実に恐ろしいものだ。