悪夢を見ないようドリームキャッチャーを吊るすように、いい夢を見られるよう好きな写真を枕の下に隠すように(本当にやる人いるのかな)、リラックスできるよういい香りのアロマを焚くように、私はよく枕元に本を置く。眠る間際まで読んでいたいからだけれど、読む気力がなくても置く。三冊か四冊、重ねておくこともある。よく眠れるお守りみたいなもの。
優しくなりたい、優しい人になりたい、そう思ってずっと頑張ってきたけれど、「あなたは都合のいい人間だよ」と言われて、今まで積み上げてきた(つもりだった)ものが一気に崩れ落ちた。心がポキッと折れてしまった。
優しさって何?
ずっと自問しながら生活してきたけれど、結局分からず終いのまま、私は一生優しさを持てぬまま、朽ちていくのかもしれない。
私がこれまでしてきたことって何なんだ?
「あんな大人になりたくない」と思っていた大人の気持ちや言動の意味がわかってきて、それが結局、私の行く末なんだと気が付いて、それでもやっぱりそうはなりたくないな、と思う。そうならずに生きていけるんだろうか。それも間違い?
三浦春馬の曲を聴く度に、胸が痛くなる。
竹内結子まで、どうしてしまったの?
ドラマ『ランチの女王』の、「ランチは1000円以内じゃなきゃダメなの!」っていうセリフと声質、表情、竹内結子がテレビに出る度、いつもそのシーンを思い出していた。私はあの時確かに、竹内結子にときめいていたのだ。(恋とかではなく、人間的に、キラーン、と)
寂しいね。
悲しいとか残念とか悔しいとか苦しいとか、色々と思うけれど、ファンというわけでもないけれど、とっても素敵な人たちが、自らの意思でこの世から去ってしまうこと、色んな理由があって色んなタイミングがあって、最終的には本人にしか選択し得ない、本人だけが選択できることだから、なんていうのかね、家族だろうが親友だろうが、結局は本人以外の人間には立ち入れない世界がある。
だから寂しい。
一人なんだ、と実感する。
人間誰しも一人だけれど、きっとその核の中に入って行ってしまったんだな、私たちがまだまだ知らない遠い遠い深い場所を見つけてしまって、その中身を知ってしまって、それでどうしようもなくなってしまったのかもしれない。
私にはわからないけれど。
憶測、全部憶測。
本人にしか分かり得ない。
寂しいね。
生きていることが全てではないけれど。
向こうの世界があるのなら、どうかこれから楽しく暮らせますように、と念ずるばかり。
昨日、ボールズが復活した。
3月に復活発表をして、5月にライブをする予定だったけれど、こんな状況下なので延期、そして昨日遂に念願の復活ライブを敢行した。
私は行けないので動画越しに観ていたけれど、やはり込み上げるものがあるね。
嬉しさと、懐かしさと、直接見られないもどかしさと、でもいつかまた見に行けるんだぁ!という楽しみと、いろいろと。
音に乗って風が吹くのを感じた。
ボールズの音楽は、いつ観てもいつ聴いても、ワクワクする。コロン、コロンって、ラムネの中のビー玉が転がるかんじ。シュワシュワしていて、爽やかで、キラキラ光って、心地よい音がして、夏にとっても似合う。
昨日のライブは、その始まり、という感じがした。春みたいな。あったかい風がね、フワ〜ッとみんなの間を流れて行く感じがしたの。
おかえりはもちろんだけど、ありがとうという気持ちでいっぱい。
悲しいことと、嬉しいことと、生きているといろんな事が起こる。
もうダメだと思う日と、明日に希望を持てる日と、日替わりにやって来る。
それでも今生きているのなら、いいやぁと思う。苦しい日々があっても、それを包み込む幸せがあるんならば。どんなに些細な事でも、それが明日に向かう糧になるのなら。そうやって無理せず生き続けていけるのなら、それでいいじゃない、と思う。
時々、何の為に生きているんだろう?とアンパンマン状態になることもあるけれど、日々の中に小さな喜びがちょこん、ちょこんといて、それを吹っ飛ばしてくれるの。それってすごく素晴らしいことだよね。
今日も生きていてよかった。