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座敷わらし

 

 

自分の最大の味方は自分だと、最近つくづく思う。障害になることもあるけれど。

 

よく、自分の中のもう一人の自分、とか言うけれど、そんなものはいない。自分はいつだって一人だ。

 

けれど、タイムワープのような、時空が歪むような時があって、その時は、私が二人になる。

 

 

未来の自分に会えたら、とか、過去の自分と話せたら、とかも、よく言うけれど、本当は、どちらも出来ている。未来の自分には、歳を取っていずれ会えるし、過去の自分と会話することもできる。正確には、会話はできないけれど、声を掛けてやることはできるの。それで私は最近、過去の自分によく話しかけている。一方的に。

 

過去の自分も、結局自分の中にずっと居て、あぁこれは、もう一人の自分という意味とは違うのだけど、なんて言ったらよいのかな、とにかく居るの。残像みたいな感じなのかな。今の私からは見えるけれど、あちらから私は見えない。座敷わらしのように、どこか一点を見つめて、微動だにせず座っている。

 

まぁそれで、その座敷わらしはさ、これまで沢山失敗をしたり、めげたり泣いたり落ち込んだり憤ったり、とにかく沢山してきたわけなのよ。ここに来るまでにどこかへしまい込んだものや、どこかで落としたものや、ゴミ箱に捨てたものや、燃したものも、沢山あるけれど、ずっと離せずに持ってきたものも幾つかある。それを黙って抱えて座っているの。

 

それをね、大丈夫よ、もう大丈夫なのよ、もうそれ、手放していいのよ、と、宥めてあげるとさ、いつのまにか自分がその座敷わらしになってポツンと座っていてさ、そうしていつのまにか手には何も持っていなくてさ、スッキリして消えていくの。

 

 


自分で自分を認めることは、何よりも大切よね。どれほど偉大な人に認められても、結局はその人に認められた自分を認められねば、意味がないからね。

 


今日もよく生きた。