トニモカクニモ

 

 

物凄く幸せな時は、どうしたらよいのかわからなくなる。


嬉しい、楽しい、幸せ、あらゆる正の感情がそれぞれ満杯にまで達した時、その後一体どうしたらよいのかわからない。

 

人にこの喜びを伝えるべきなのか、一人こっそりと大事に抱え込むべきなのか、それともこうして日記に書いて、誰とでもない誰かが通り際に知ってくれたらよいのか。結論それがよいと思ってここに書いているけれど。完全に自己満足だけれど、よい。人生はなんでも自己満足だ。

 

 

会いたい人に会った時、見たいものを見た時、行きたいところに行った時、欲しいものを手に入れた時、時間や空間を忘れられる時、そこから自分が消え薄れる時、それらが一気にやって来る時、死んでしまうのではないかと思う程、幸せに思う。あまり死の話をするのはよくないけれど、幸福と死は隣り合っている時がある。120パーセントの自論で。

 

 

 

今日が終わってしまうのが酷く勿体無い。日本人の精神なのか、なんでも区切りを付けがちだ。昨日は昨日、今日は今日、と仕切りを作られてしまうのが怖い。日の出と共に、あんたのぬか喜びはもう終わりよ、と言われているようで悲しい。嬉しいことはいつまでも喜んでいてよいと思うの。いつまでも自惚れて幸福に浸っていればよいと思うの。アタイは。

 

 


兎にも角にも(トニモカクニモという言葉が好き、響きが楽しい)、私は今とても幸せで、生きていてよかったと思う。あの世でもこんな幸せがあるんだろうか。ある気がする。それでも生きていてよかった。