大雪

 

 

深夜、雪舞う中、全く知らない道を歩いていた。

 

人間には、そもそも生物には、得意不得意が必ずあると思う。単細胞にだって多細胞にだって、あるのだと思う。

 

方向音痴の度が過ぎている。
自分の脳の中に入ってみたい。たぶんドラえもんの、21世紀からのび太くんの机の引き出しまでに繋がる空間みたいに、歪んでいるのだと思う。ていうかこの前ドラえもんの映画を観たら、22世紀から来たとか何とか言っていて(あまりよく見ていなかった)、回る回るよ時代は回るなぁ、と思った。

 


道に迷い始めた頃、"信じる者は救われる"と言い聞かせて、携帯電話にも頼らずにひたすら歩き続けていたのだけれど、結果いつまで経っても目的地が見当たらず、不安になって小走りになり、中走りになり、大走りになっても延々と見知らぬ世界が続くので、一旦信念を捨てて地図を開いてみたらまんまと違う道を歩いていた。やはりエセのクリスチャンは見破られてしまうのだな。尊い


途中、雪まみれで意味があるのかないのかもわからない傘を差しながら街灯も人気もない道を通ったり、突然上半身裸の男の人が家の扉から出てきたりして、恐怖というものをわかりやすく体感した。これまでは漠然としたものしか感じて来なかったので、非常にわかりやすかった。ありがとう。(?)

 

人気は一切無いくせに、新しげな足跡が一人分道に続いていて、一体誰がこんな時間にこんな道を、と思いながら歩いていたけれど、結局道に迷って折り返して、なんだか数十分前の自分とすれ違ったような気分だった。

 

 

ようやく道を把握した頃、家々の車が雪に備えてワイパーを上げている中、黒塗りのベンツだけが車庫に入って、楽しむように少しだけ雪を被りながら、ワイパーも上げずに休んでいるのを見掛けて、あぁこれが世の中だなぁ、と感じた。私にもいつかあれに乗る日が来るだろうか。

 

 


そうしてやっと、目的地に着き今に至る。小一時間、道に迷っていたようだった。

 

尊敬する人が、「時間は均一ではない。拡張して使うことだってできる。」と言っていて、ハッとした。でもまだ捉え切れていない。わかるようで、わからない。それでもいつかわかる時が来るのだと思う。

 


この間、物凄く手の綺麗な人と出会った。更にその人は、驚くほどに親切な人だった。手には限らないけれど、やはり内面は外見のどこかに、探せばちゃんと気付くところに、映っているのだと思う。

 

以前旅先で見かけた、吸い込まれるような瞳をしていた青年も、きっとそうなのかもしれない。あれは本当に不思議な感覚だった。本当に、心臓から全身まで、全て引きずり込まれてしまうような、美しい瞳だった。

 

 

愛されることの苦しさを、最近やっと知る。気が付いたというほうが近いかもしれない。何事にも、利点と欠点がある。光が強い分、影が濃くなるように、そういうような関係が、身の回りにも沢山存在する。

 

 

 

結局何が言いたいのだろう。

雪の白さは、一切罪がない。