あっというまに

 

 

 

七月。

部屋のカレンダーは三月で止まっているし、掛け時計も十時三十四分で止まっているけれど、日に日に気温は上昇しているし、鳥の声から蝉の声に変わりつつある。

 


二十日ばかり早くやって来た梅雨は、律儀に二十日ばかり早く去って行った。梅雨というくせに雨もほとんど降らせず、雨が降っても雨が降らなくても文句を言われる梅雨。今年もお疲れ様でした。

 

 

 

実家の猫が、会う度に余所余所しくなっていく。昨日なんか、名前を呼んでも無視、頭を撫でてもスルー、一瞥すらくれない様子で、私は相当ヘコんだ。家の近くの駐車場でニャーニャー鳴いていたのを、腕や顔を引っ掻かれながら無理矢理我が家に連れてきた十三年前に想いを馳せる。奴はそんなことすっかり忘れているんだろう。まったく猫ってぇのは、薄情というか淡白というか、それがいいところでもあるんだけどねぇ、あたしゃ相当ヘコんでんのよ。

 

 

 

実家の周りは田んぼが多く、夏になると毎晩蛙が大量に鳴く。それが当たり前で育ったので、今の静かな夜はなんだか味気ない。そうしてひと晩この家で眠ると、なんとも言えない、ひっそりと深い幸せを感じるのである。

 


朝、四時前にはもう空が明るくなり始めていた。夏のそういうところが好き。朝だよ~!もう朝始めるよ~!早起きは三文の徳!ほれ三文と言わず五文も六文もあげちゃうよ~!起きろ起きろ~!起きなくてもいいけど勝手に朝始めちゃうよ~!今日もお天気だよ~!今日もいい一日にしちゃうよ~!ワッホ~イ!という雰囲気が、とても好き。

 

 

 

それにしても暑い。

暑いけれどたまに、気温が皮膚の温度とピタッと同じ温度になり、皮膚を夏の空気の中に溶かし出してしまうような、結局は暑いのだけど、「あ、溶けた」と感じて少しばかり心地よくなる瞬間がある。

 


夏の、他に物を言わせぬ陽の強さと、巻き込まれてしまいそうな空気の気怠さがなんとも言えない。う~~~ん、夏!やっぱりいいね、夏!

 

 

 

 

 

 

と、七月の頭に書いてそのままだった。

西日本での洪水被害の甚大さが日に日に明らかになってきて、ただただ恐ろしい。

行方のわからない家族の戻りを待っている人たち、遺体となって帰ってきた家族と再会した人たち、浸水して泥まみれになった家の中や道路を片付けている人たち、この事態に漬け込んで盗みや詐欺を働く人たち、色んな映像を、テレビの画面を通して毎日見ていて、表現の仕様がなく、胸が痛む。胸が痛むと言うのですら、申し訳ない様に思う。どうしてよいのかわからない。私にできることなど、想い祈ることしかできないんだろう。

 

 

 

タイでの洞窟に閉じ込められた少年たちのニュースも沢山見て、やっと全員が救出されたらしく、それはとてもよかったと思うけれど、こういうニュースを見る度に、先が不安になる。

 

 

 

飛行機に乗れば落ち、船に乗れば沈み、山に登れば土砂が崩れ、洞窟に入れば閉じ込められ、かと言って家でゆっくり過ごしていたら今度は洪水、もう何処にいても何をしても駄目なのでは、と思ってしまう。いつ自分が巻き込まれるのかもわからない不安と、何事もなく一生を終えられる確信がない不安と、とにかく不安だらけ。

 

 

 

 


歌丸さんの死が、今だに信じられない。衝撃的なニュースだった。

日曜の夕方と言えば笑点だった。ちびまる子ちゃんでもサザエさんでもなく、というか笑点の後には観ていたけれど、私にとって日曜の夕方に居間で家族と観るテレビと言えば、紛れもなく笑点だった。

 


歌丸さんの最後の頃の姿を見ると涙が出てくる。若い頃は知らないけれど、若い頃から華奢だったようだけれど、それでもいつのまにか八十一歳になっていて、いつのまにか腰も曲がり掛けていて、いつのまにか鼻にチューブを付け体は細く細くなっていて、それだけ月日を重ねたのだということを、ずしりと感じた。ミスター笑点、本当にミスター笑点だなぁと思う。

 

 

 

都会の緊張感と疲労感に満ちた静けさのある電車でなく、人気の少ない、穏やかに静かなこの田舎の電車が、とても心地よい。トンボが車内を飛び回っている。早くドアを見つけて出られるといいね。

 

 

 

 

 

 

ひとつ感情をまとめると、ホッとする。

さて次は、