我思う、故に我在り

 

 

どの島がどの国のものだとか、この絵はあの人の絵だとか偽物だとか、世の女の子たちはチーズ料理に夢中だとか、株価が暴落しただとか、よその大統領の言っていることとか、そんなこと私にはわけわからないよ。

 

相次ぐ地震も、教師の暴行や生徒同士のいじめや、親子間の殺害も、脱税問題も国会議員の言い間違えも、虚偽も隠蔽も、もううんざりだ。

 

 

なんとなーく、心がモソモソする。

 

休みの日、大好きな人たちと会って、ゆっくり家で眠って、部屋のものをごっそり片付けて、愛おしい猫と触れ合って、お笑い番組を観て、お酒を飲んで、好きな歌を口ずさんで、音楽を聴いて、色々と、好きなものに触れたのだけど、なんだか、満たされないような、心がザワザワするような、感じがしている。

 

こんな日もあるよなーと、今はとりあえず開き直っているけれど、今だにこういう感情の落差に一喜一憂して、たまに処理できないことがある。

 

 

冬にももう堪えかねる、でももう花粉が飛んでいる、花見をしたかと思えば夏が来る、暑さにも参って飽き飽きすれば、おしとやかに秋がやって来て、あっというまにまた冬。ずーっとずーっとその繰り返しだけれど、生きているだけで儲けものだ。本当に、素晴らしいこと

 

 

働きたくないし、とりわけ冬は外に出たくない、大好きな人たちにさえどうにも会いたくない時もある、やりたいことは沢山あるのになんとも動けない時もある、そういうことにうんざりすることもある、落ち込んで不貞腐れて眠り込むこともある、朝になればすっからかん、そういうことの繰り返し。それでいいじゃない。なんにもがんばらなくていい。息をすること。生きること。それでいいじゃない。私が今ここに、いること。それでいいじゃないの。