月が明るくて救われた。
毎日死にたいと思いながら生きている。
死にたいというより、終わりたいという気持ち。
苦しい時も楽しい時も、何気なく道を歩いている時も、今、終わったらいいなと思う。
アメリカとイランの対立について、「揉めてる暇があったらオーストラリアの火事をなんとかしろ」と言う人を何人か見かけた。言いたい事はわかる。私もそうとも思う。けれどそれとこれとは別問題だろう。そしてあれやこれや言っている私達は結局、あれやこれや言っているだけで、今日もあったかいコタツの中でテレビでも点けながら無表情で文字を打ち込んでいるんだろう。
貧しさとは何か。豊かさとは何か。
そして優しさとは。
私は昨日、酒を飲みながら、好きなつまみを食らいながら、テレビに映る貧困児を見て、月三千円の金を渋ったのだ。
私は結局、そういう人間なんだ。
自分が何よりも一番で、高みの見物をしながら、ここぞという時だけひょいっと下りて、おっとっと、っという時になったらまた戻って、そういう人間なんだ。
今日もまた、人と上手くいかなかった。
上手くいかなかったと思っているのは恐らく自分だけなんだろうけれど、でもこの自分がそう思っているのだから、上手くいかなかったんだろう。
最近ずっとそう。
自分で自分を陥れている事もわかっているけれど、なんだかどうにもならない。
脳味噌、半分くらい無駄な気がする。
というかこの体、たぶん半分は不要なもので構成されている。