プラマイゼロ、むしろマ〜イ

 

 

というネタをする芸人がいたけれど、
まさに、プラマイゼロはむしろマイだ。

 

同じくらいの良いことと悪いことがあった時、衝撃が強いのは悪いほうだ。(※個人差があります)


いや、本当に個人差はあって、良いことのほうが強い人だってそれはそれはいるだろうけれど、激甘スイーツと激辛ラーメンを交互に食べたらどちらが強いかって、そらぁ辛いほうに決まっている。ていうか何かの番組でやってた。激甘vs激辛。激辛の圧勝だった

 

 

私のイメージはそれと同じで、正の感情よりも、負の感情のほうが強い。あ、根暗なだけなのかな。あっ、えっ、あっ、そういうこと?えっ?

 

 

 

結局個人差があるわけなんだが、
プラスマイナスゼロ(±0)になる時って、おそらくたぶん、プラスの要素が多い。{(+1)−1}がゼロになるんではなくて、たとえば{(+3)−1}や{(+7)−4}がゼロに等しいのではなかろうか、ということなのである(ふむふむ)

 


たとえば、他人に同じレベルくらいで一度悪口を言われるのと、一度褒められるのでは、確かに褒められて嬉しい気持ちはあるけれど、悪口が残る。だから、三度くらい褒めてもらわねばいけない。困る。褒めて。

 

 


(おわり)

エイプリルフール

 

 

夢には意味がある。
と、夢占いの本が言っているので、私もそうだと思っている。

 

私は毎日夢を見る。
高校時代は、毎日お昼の時間、友人に昨晩見た夢の話をするのが日課だった。今思えば、毎日嫌な顔をせずに聞いてくれていた友人は凄い。私だったら無理

 


一時期、水の夢をよく見ていた。
洪水の夢が多かった。酷い時だと家ごと水に流されていたりした。

洪水の夢は、良くないらしい。
恐怖や不安に襲われているらしい。
確かにその時期は、ほんのり精神が不安定だった気がする。

 

昨日も、海の水面が少しずつ上がって自分の足元まで届いてくる夢を見た。さして今は、悩み事なんぞ無いのだけれど。無意識の意識の中に、何かあるんだろう(完全に夢占いを信じ切っている)

 


夢は、一日の出来事を整理する為に見るのだと、何かで聞いたことがある。
なるほど確かに、今日起こった事や思った事に近い物事が、夢に出てくることも多い。

 

眠っている人に話し掛けてはいけないとも、聞いたことがある。脳の整理を邪魔してしまうから、ということらしい。

 

夢日記を書くのもよくないらしい。せっかく脳で処理したものを追い直すのがよくないらしいんだが、これについてはあまり納得はしていない。

 

色付きの夢を見る人は何だとか、自分を空から見る形の夢を見る人は何だとか、夢に関しては色んな見解があって、面白い。所詮、無意識のうちに起こっているものなのにねぇ(ネェ)

 

 

夢を見ている時、稀に、これは夢だと気付くことがある。それで、起きろ、起きろ起きろ起きろ!と何度か念じると、夢から覚めることができたりする。

 

友達は、夢を操作できると言っていた。思うように夢を進めることができて、好きな夢も見られるらしい。とても楽しそう。

 

 

今までは、あんまり夢を見るのが好きではなかったけれど、現実では絶対に成し得ないことが夢では出来たり、現実で望んでいることを夢で叶えられたりして、面白い。夢を見ないひとの倍以上の人生を歩んでいる気分になる。

 

たまに、夢と現実が入り混ざって、夢だったのか現実だったのかわからなくなる時もある。時折、夢に現実を支配されてしまうんではないかと、怯える時もある。それはそれで良いのかもしれない、と思ったりもする。

 

 

 

夢の話ならこれの100億倍くらいできるのだけど、まぁ嘘なんだけど、エイプリルフールだけに、と思ったら一分過ぎていて、ただの嘘つきになってしまった。罪だ。嘘は罪だ。今日は裁かれる夢を見るかもしれない。

 

 

スカート、ひらり

 

 

男子の、女の子へ夢を見る気持ちが、今日ふと、わかってしまった。

 

女子の、天使感というのか、空想的というのか、「アイドル」や「ヒロイン」よりももっと非凡で高価なイメージに気付いてしまったわけである。

 

といっても結局、テレビに出ていたアイドルを見て思ったことなんだが、彼女たちは凄い。オーラが凄い。キラキラしている。私には見える。本当に、ラメがキラキラと舞っている。彼女たちの周りに。眩い。とてつもなく眩い。

これが女子か、これが男子が夢見る女子か、と気が付いて、なんだか私もときめいてしまった。

 

ていうか単刀直入に言うとAKB4○なんだけれど、あっ、○の位置?○の位置が違う?AKB○8?○KB48?まぁ○を付けようが付けまいが国民的アイドルだもの、わからない人なんぞいないのだから!

 

それでもってミュージックステーションAKB48の初代神セブンを見て、いやはやこれは確かに神だ、と思った。元から今まで正直AKBには興味が無いのだけど(謝罪)、確かにあれは神様だった。神々しい。


今の神セブンが誰なのかはわからないし、今日目立って出ていたメンバーも勿論可愛くて個性があってそれに似つかわしい人たちだなぁと思ったけれど、やはり初代の格は凄い。えっ、待って、ごめんって、お前誰だよどの分際で上から評価してんだよふざけんなよとか言わないで本当に、やめて、暴力だけはやめて、ごめんって、本当にごめんって思ってるから、だから顔だけは、お願い、顔面は本当に、やめて、やめてってば!!!!!!!!!!!!!!

 


とにかく女子の存在感は凄い。
女性から見た男性アイドルもまた然り、なんだろうけれど、それはまたいつか、書けたら書こう。

一昔前のアイドルが、男性ファンたちに「アイドルはトイレに行かない」と信じ込まれていた理由が少しばかりわかった。

 

 

 

リンカーン

 

 

今日もまた、一日生き延びた。


一日を生き抜く事が、どれほどに偉大なことであるのか、昨日突然に気が付いてしまった。

 

 

一日の間に、命を狙われるタイミングなんて沢山ある。

 

朝、ベッドから落ちて脳を打つかもしれない。階段から転げ落ちるかもしれない。朝ご飯を喉に詰まらせるかもしれない。赤信号の道から車が突っ込んでくるかもしれない。高圧ガスを載せた車が目の前で横転するかもしれない。歩道橋が崩れ落ちてくるかもしれない。道案内をしたお婆ちゃんがテロリストかもしれない。会社に強盗が入ってくるかもしれない。雷に打たれるかもしれないし竜巻に巻き込まれるかもしれないし、星が落っこちてくるかもしれない。大気圏が破られて、物凄い勢いで真空が地球に入り込んでくるかもしれない。唐突に氷河期がやってくるかもしれない。家に帰ったらサイコパスがいるかもしれない。眠っている間に、家を焼かれるかもしれない。

 


一日の間に、何百も、命の危険がある。それが毎日続く。それらを、マトリックスの有名なワンシーンのように、フワンフワンフワン、と避けている。むしろ私の周りに見えないバリアがあって、それらの危険が、危険のほうから逃げていくんではないかと思うくらいに、逸れていく。

 

一日を生き延びる毎に、なんていうのか、奇跡の確率が高く上がっていく気がする。例えば一日に10個危険があれば、奇跡は10分の1(11分の1?)、二日生き延びれば20分の1、あれ、100分の1?確率って二乗?掛けるの?えっ?全然わからない。小学生の時KUMONとか超やってたけど超わかんない

 

 

とにかく、今日を生き延びたことに、胸を張るべきだ。死んでしまうことがダメな事ではないけれど、生き延びた私たちは凄い。もっと、静かなところで、ゆっくり、息をするべきだ。でないと、ほとんどの人が、いかに自分が偉大であるかに気が付かない。

 

 

 

話にはオチがないといけない。かく言う私はよく、オチが無いと言われるけれど、それはそれでこれはこれだ。いいか、それはそれで、これはこれだ。

 

それでもってオチを付けねばと、アメリカの有名な元大統領エイブラハム・リンカーンについて一旦書きかけたのだけど、ふざけ過ぎて政府に抹消されそうな気がして、不安と恐怖に勝てず止めた。

 

 

(タイトルはその名残)

 

 

 

 

 

 

 

ねんねんころりよ

 

 

アルコールはよい。

 


殺菌作用がある。

 

 

 

いや、違うわ。そういうアルコールじゃないわ。

 

 

 

 


は?

 

 

 

 

 

 

最近毎日お酒を飲んでいて、というのも睡眠が浅くて、お酒を飲めば眠れるだろうという、至って安直で軽率な考えでもって飲酒している。


飲酒って響き悪くない?
飲酒運転、みたいな

 


飲酒運転、みたいな。

 

 

 

とにかく、中学生の頃から眠りが浅くて、まず布団に入って一、二時間は眠れない。深夜〜明け方に酷い時は十回くらい起きる。毎日夢を見る。(それはそれで楽しい)寝返りを数百回打つので朝の寝癖が酷い。面倒臭いので直さない。中学生の頃は、朝起きたらベッドの反対向きに寝ていて起きたこともよくある。器用かよ。

 

アルコールの量にもよるのかもしれないけれど、ちっとお酒を飲んだくらいでは眠れないし、かと言って飲みすぎると二日酔いになる。面倒臭い。

 

二日酔いって、本当に最悪。
思い出すだけでゲロが出そう。

この間まで二日酔いが怖くて、一杯飲んだだけでも多量に水を飲んでからでないと眠れなかった。

 

 

何か、安眠できる方法はないだろうか。
絵本?絵本とか読めばいいのかな?ママに絵本とか読んでもらえばよいのかな?ねんねんころりよ、の歌を歌ってもらえばよいのかな?

 


話は変わるけど、ねんねんころりよの子守唄、皆知っているかな。
あの歌、子守唄のくせに怖くない?
子供の頃、よく母が歌ってくれていたのだけど、正直怖かった。
えっ、なんでこんな歌歌うの?他にないの?だったらどんぐりころころのほうがいいんだけど!と思っていた。

 

 

懐かしいな。(おわり)

 

 

生きるのって難しい。
息をしているだけでは話にならない。

 

人より考え事が多い。のかもしれない。
大概が取るに足りぬくだらない事ばかりだけれど、これがどうにも厄介で、自分の脳で考えていることなのに、しょっちゅう訳がわからなくなる。脳に支配される。心と脳は別の所にある(だっけ?)、とよく言うけれど、そういうかんじ。脳は強い。心で思っていることを、捻じ伏せてくる。


たぶん皆、同じようなことを考えているのだと思うけれど、一体何を考えているんだろう。いつもずっと気になっている。
こういう日の夜とか、休みの日のお昼とか、一体何を感じて、何を考えて、何に一喜一憂して、何に迷って、何を決心して、その翌日はどう過ごすのだろう。

他人に干渉し過ぎなんだろうか。
干渉しない人は凄い。良いか悪いかはわからないけれど、私にとっては物凄いことだと思う。そういう人たちの考えていることも、是非覗いてみたい。

 

 

言葉を発していないと、落ち着かない。脳の中にあれやこれや考えが溜まって、それを出さねばいけないのだと思う。誰かと話をしたり、日記を書いたり、こうしてどこかに思いを書き込まねば、パニックで死んでしまいそう。死なないけど。

 


壁と会話が出来たらよいなぁ。
今思っていることを、全部ぶち撒けたい。たぶん、よいかんじに相槌を打ってくれて、よいかんじに同意をしてくれて、最終的によいかんじに私を宥めてくれる。
壁は、何を考えているんだろう。いや、無生物なのはわかっているよ。そうじゃなくて。そうじゃなくてさ。ピーターパンとか三匹の子豚とかさ。そういう世界の感覚でさ。何を考えているんだろうね。

 

 

呼吸をしているだけで、生きていると認められたい。毎日きちんと水遣りをしてくれる(重要)お婆ちゃんの家の、草になりたい。

222才

 

 

世界中の全員と巡り会うまで死にたくない、と思っている時期があった。

 

意味はそのままの意味なんだけれど、自分のいる空間は本当に狭い。自分の中ではそこそこ広げたくらいだけれど、人生八十年しかないのに、一秒に一人と出会ったところで志初めで死んでしまうようなものなのに、ずっとこの狭い空間に、ほとんど同じようなことを繰り返して生活しているのは、馬鹿馬鹿しいくらい勿体無い、とハッキリ言葉にしてみると、いかに馬鹿馬鹿しいのかがしっかり露呈されてしまって、その馬鹿馬鹿しさたるや、と、もう何が馬鹿馬鹿しくて何が馬鹿馬鹿しくないかわからないほど馬鹿馬鹿しくなってくる。

 

その頃は、できるものならば既にこの世に居ない人や、これから先産まれてくる人全ての人に出会いたいとさえ思っていた。そういえばそんなことを思っていたなぁ、とふと思い出すと、確かに今だにそう思うことは思う。

 

 

諦めることも大切だと、なんとなぁ〜く、思う。自分の為に。キッパリしないと、ずっとグズグズとその場に居座ってしまって、動けなくなる。だから、地球に人間は100万人くらいしかいないことにする。できないけど。70億いるらしいけど。会ったことないから知らない。

 

 

全人類と出会えたら、物凄く、とにかく自分にとって物凄い人を発見できるのではないかと思うんだよ。「この人と最期にガンジス川を流れたい」と思える人や、畏れ多く思うほど尊い人や、視野が10度くらいしか無くなってしまうまでに憧れる人や、本当に腹と背中がくっ付いてしまい、死ぬまで笑う以外のことができなくなるくらい面白い人や、脳の中を泳ぎたいと思ったり、脳味噌を取って食べてしまいたいと思うくらい魅力的な感覚を持っている人や、自分と180度ぴったり、真逆の考え方や行動をする人や、はたまた一挙一動全く同じことを考え動く人や、テレビですら見た事もない不思議な力を持っている人とかに、出会えるかもしれないじゃないか!と思うと、全員に会わないと死ねない!嫌だ!私死なない!生きる!生き延びる!サバイバル!と思っていた頃があったのである。うわ、思い出すとやはりその頃の考え方に引き込まれる。今の私もそう思い始める。

 


今いる場所にも、素敵な人は沢山いる。これも諦めかもしれないし、いや、そうでないかもしれないけれど、これが全てなのかもしれない。ここにいる人たちが全てで、ここにいる素敵な人たちが全てなのである。これ以上大きな場所へ出ても、ただだだっ広いだけで、そこには何も無くて、結局、この狭い所に戻ってくるのかもしれない。

 

歴史にもしもは無い、とよく言う。だからこれが全てだ。そうなんだと思う。そう思う他無い。


なんだか悲観的な考え方な雰囲気が出ているけれど、決してそうではない。むしろハッピーなのよアタイ。(前の記事を引きずっている)

 


本当に、今の私の周りには、ワンダフルな人たちが沢山いて、会える機会もそう多くは無いけれど、有り難く思う。なんていうか、こう、私の人生が線路だとしたら、あ、電車のほうがよいかな、電車に、本意にも不本意にも、乗り込んで来てくれたことを、有り難く思っている。私が乗り込むこともあるけれど。だから降ろしたくない。降ろしてしまった人も、降りて行ってしまった人も、少なからずいるけれど、降りてほしくない。

 

電車の車掌さんは凄い。毎回欠かさず乗客に対してお礼を言う。「お疲れ様でした。ありがとうございました。」
と、言う。遅延や急停車をしたら謝る。一駅ごとに安全確認をする。常に安全運転をする。

 

強引にふたつ上のブロックに被せようと車掌さんの話をしてみたが、とにかく私も、そうでありたい。そうあらねばいけない。

 

 


えっ、結局何の話だっけ、
つまり、命在ることに感謝ということ。
あら、そうだっけ。まぁよい。ありがとう。