私は無宗教

 

 

許すというのは難しい。

許すというのは勇気が要る。
許すことは自分に負荷を掛ける。
本当に許せているのか。
許すとは、何か。
私は許しているのか。
そして、許されているのか。

 

 

 


有名な作家の有名なワンシーンに出てきそうな一節だね。ね。(ウィンク)

 

 

 

 

 

試されている気がする。
度量や生き方を、天井で賭け事でもされながら、試されているのかもしれない。

 

お前にはこれが許せるか、お前にはこれを受け入れる寛大さがあるのか、お前は一体どんな生き方をするのか、と。酒つまみ片手にでもベットしているんだろう。

 

 


神は凄い。
都合の良い時にしか神を信じないけれど(どうかこれを読まれていませぬよう)、神は偉大だ。

 

神は何でも知っているし、平等だ。
神は万事を許す力を持っている。
裁くのは任務であるだけ、本当は何だって受け入れてくれる。

 

 


これ以上神について話すと一週間後には怪しい宗教団体に目を付けられ一ヶ月後にはその宗教団体に入り、一年後には立派な団員となって三年後には主力に、五年後には教祖の右腕となり、二十年後には己が教祖となって新たな宗教団体を立ち上げるまでになるのだろう。やぁおぞましい。

 

 

 

相手を鏡だと思えたらよいのだけれど。
あなたは私、あなたも私、君も君も、あっ、やぁ、君も、あっ、今日もいい天気だね、君ってつまり、私、
みたいな。

 

 

 


みたいな。

 

 

 

 


 

 

 

 

許すことが正しいわけではない。
それでも全てを飲み込めたらよいなと思うし、私も全て許されたい。飲んでくれ。私を。消化してくれ。灼熱の胃液で。

 

 

 

 

ピー・エス
私は無宗教です
(全国の宗教団体に告ぐ)