「恐怖の大抵は想像上のもの」
わかってはいるけれど、ハッキリと文字に起こされると、心にズンと来る。
やはり好きな作家さんや尊敬している人の言葉は強くしっかりとしていて、水にフカフカ浮いている私に、ズシリと重りを置いてくれる。
「未知の物事に対して最初に不安を抱くことは至極当たり前のことだ」
これは偉大な先輩が言ってくれた言葉で、それを思い出す度私はほんの少し、前を向くことができる。一見誰にでもわかるようなことだけれど、それを明確な言葉として与えられると全く違うのである。
そんなわけで私はいつも、どうしても自分の中で何かに躓いてしまったり、折り合いがつかないで狼狽してしまったりする時には、彼へと連絡を取る。
電話をする度忙しさが伝わってくるけれど、それでも私の話を一つ一つ聞いてくれ、同情も妥協もせず公平な目で意見を与えてくれる。「単に自分の考えだけど」と言いつつも、いつだって必ず新しい道を見つけてくれる。何度、本当に何度、彼に感謝しその偉大さに畏怖したことか。
いつか誰よりも自分自身が満足できる人生の中心を見つけられた時、私は胸を張って彼に会いに行きたい。だから頑張ろうと思える。
先日たまたま見ていた動画の中で、どこかの大学の教授が「時間は命だ」と言っていたのが、ずっと頭の中でチラチラしている。
時間は命
この一秒も、意識していない一秒も、命
ピンと来るようで、私はまだそのスケールの大きさに追い付くことができないでいる。
時間というのは物凄く大切なものだけれど、それを「生かす」「無駄にする」というのは、一体どこで、どの時点で、誰が決めることなのだろう。それを私自身が決める時、私の人生は、今までの人生は、どうであったのか。私の「命」は、どの瞬間であっても、無駄だっただろうか。
日々考えが交錯していて、この前とは違う事を言っている気がする。
ただやっぱりいつでも思うのは、今日という日を楽しまねば、ということ。
どこにいても何をしていても、何もしていなくても、なんとなく落ち込む日であっても、もう今日は何もしたくないなと思う時であっても、楽しくなる方法を考えねば。いつだって楽しいほうがいい。いつまでも命が続くわけじゃあないのだから、楽しまねば。