むし

 

 

虫を一匹殺した。


ちぃちゃい、肌に付いても一切気が付かないような虫を、殺した。

 

本当は今日、三匹目くらい。

 


虫を殺したら死刑という法律があったら、私は今、この虫を殺さなかったんだろうか。そりゃあ殺さないだろうね。

 


それでも、私を死刑にしてくれないかな、と思いながら、虫を殺した。

 

自分は生かされることを知っているから。

 


なんて残酷なのかしら。
私も、人間そのものも、一番生きる価値の無い物体が、生き物の王者のような顔をして、ふんぞり返って生きている。想像をすると酷く滑稽で、情けない。

 

 


明日の事を考えて落ち込む事が減った。良くも悪くも、期待がどんどん薄まっていく。不安を見て見ぬフリをしている。

 

いつかツケが回ってこなきゃいいけれど。

 

 

 

 

ちっともそう思っていなくていいから、「大丈夫?」と言われたい時がある。

 

誰にも知られたくないけれど、誰かには知っていてほしいことがある。

 

夜に飲み込まれてしまう不安と、いっそ飲み込まれてしまいたい気持ちとが、ある。

 

早く眠りたい懇願と、朝まで眠りたくない欲望がある。

 

ずっとこのまま閉じこもっていたい思いと、一刻も早く抜け出さねばという使命感が、ある。

 

何も出来ないという諦めと、何でも出来る気がする期待が、ある。

 

 

絶望と、希望が、ある。

 

 


一方に飲まれ、また一方にも飲まれ、どちらもはね退けて、結局途方に暮れる。

 


何を思っても、何を放棄しても、一定の速度で地球は動き、月と太陽が傾く。

 

 

意味のないことをしているのかもしれない。

 

意味がないとわかっていても、意味のないことをするしかないのかもしれない。

 

 


明日も生きよう。

 

 

死にたい、と思うことは人生に何度あるんだろう。

 

死にたさにも段階がある。


ギャルの、「ハッズwwwwマジ死にたいwwwww」から、ビル屋上の、空まであと一歩にいる人の死にたいまで、たぶんザッと10段階はある。知らんけど

 


脳の回線が途切れて、自分でもよくわからないほど落ち込むことがある。ノリみたいな感覚で、気持ちよりも先に次から次へと涙が溢れてくることもある。酷いともう、ガンジス川に飛び込みたくなる。一度落ち込むとその晩はもう駄目だ。

 


真面目に考えることは、ひどくエネルギーを使う。だから大抵ボンヤリと考えるだけで、終着点までたどり着かない。本当はこのスタート地点と、その種と、それから撃退法まで、きちんと考えねばいけないのだけど、どうしても途中でモヤがかかってしまって、どうにも前に進まない。

 


何を書こうとしたのか、忘れてしまった。最近、何を考えるにも途中で挫折してしまっていけない。疲れてしまう。

 

 


自殺する人の気持ちが、ちょっぴりわかった気がする。
彼らは死にたい訳でなくて、死ぬしか方法がないんだろうね。生きられるもんなら生きたいだろうに。

 

 

私も生きたい。

 

 

ふと

 

 

ここが、自分の居場所なのかもしれないと思う。

 

前にも、似たように感じたことがあった。

 


ふかふかの暖かい芝生のような所でなくて、フラフラと足場の悪い場所が、私の居場所なんではないかと、結局居心地がよいのではないかと、ちょっくら旅をする度に思う。

 

 

物理的な拘束は強い。

かといって物理的に枠から飛び出したって、精神的な拘束はいつまでも続く。と、この前飛び出した時に気が付いた。

 

 

 

ひとつ、ひとつ、身動きを取る度に、ビクビクと震える。怯える。出来れば居馴れた場でいつまでもじっとしていたい。そうして幸せに暮らしたい。でもそこに居ては幸せにはならない。そういう生き方があることもあるし、私のように無いこともある。だから挙動不審になりながらも、一歩ずつ動いていかねばいけない。

 

 


できないことなんぞ無い。絶対も無いけれど、無い。


これまでを生きてきたこと、そして今日も生き抜いたこと、それが素晴らしく、それが全てである。そうして明日も生き延びることが出来たら、本当に素敵。

 

奇跡という言葉は胡散臭いけれど、どうしたってこれは奇跡である。

 


奇跡はそう起こるものでない。
だからいつでも自分の意志に従っていたい。

 

 

ほう

 

 

もしも法律で、人を殺してもよかったら。

 

人生でたった一人、殺してもよかったら。

 

何にも裁かれず、ひとつの恨みも生まれなかったら。

 

私は人を殺すんだろうか。

 

 

 

と、空気を掴むような、無意味なことを考えてみた。

 

 

 

 

 

法があっても人は殺されてしまうから残酷。

 

 

昔懐かしのものを掘り返すと、一生そこから抜け出せなくなるのでは、と最近不安になる。

 

その日その場所に閉じ込められている何万体もの自分が、ここぞとばかりに手を伸ばして私の足首を掴もうとしてくる。

 

みんな寂しい。
私も寂しい。

 

だけれどそこに居座ってしまっては、幾らそこがこれまでで一番幸福な場所であったとしても、よくないのだと思う。例え死ぬまでで一番よい場所であったとしても

 

だからあんまり、過去の思い出に浸ってみたり、昔好きだったものに触れてみたりするのは、よくない。別によいのだけど。

 

いつだって今の自分が一番強いけれど、それでも同じ私、いつ引きずり込まれてもおかしくないものよ

 

 

 

こう、私は、私の私による私の為の、私だけの道を築き歩き人生を形成していくわけだけれど、どうやったって周りの引力に引かれて、重力に押されて、仕掛けられた石ころに躓いて、落とし穴に気が付いて遠回りをして、そういうふうに生きていて、生きて行かねばいけなくて、それでよいのかと時折疑う。

 

雨が降ったから予定を変えたり、夏だからと明るい衣装を纏ってみたり、好きな人の好きな音楽を聴いてみたり、憧れている人の目線の先を覗いてみたり、電車が遅延していて別の線に乗り換えたり、明日は早いからといつもより早く布団に入ったり、挙げたらキリが無いくらい、私は一人では生きていない。

 


本当によいのだろうか、
本当にそうしたいのだろうか、
はて、さて、真実や如何に、

 


そうであってもこれが全部、私の全部であったらよいなぁ。

 

これが私の人生で、これが私の生き方で、これが私の思考回路で、これが私そのものであったら、それがよい。

 

 

 


今日はもう少し、夜更かしをしよう〜

 

 

 

 

考えない事が多くなった。
何も考えない事はこんなに楽なのかと知った。

 

これまで何に対してそんなに頭を痛め神経をすり減らして考え込んでいたのか、馬鹿馬鹿しく感じてくる。

 


考えない事は虚しい。
ただ酸素を与えられているだけの、抜け殻のように感じる。

 

今もあまり、脳が動いていない。
物凄く薄っぺらい。

 

 

 

何事にも境界線があって、いま、そこを、ウロウロしている。
彷徨っているわけでもそこに居たい訳でもなく、ただそこにいる。

 


時間が止まっている気がする。
止まっているのかもしれない。