please say that I'm your treasure

 

 

人生の偏食が酷い。

 

どうしてここまで偏った生き方をしてしまっているんだろう。

 

頑固で融通が利かなくて困る。

 


人は失敗しないと学ばないというのは、なるほど確かにと思った。


今日、全く何をやっているんだと思うことをしてしまった。
馬鹿だなぁと思った。もう二度としない。

 

ただ、今日それをしなかったら、また何日か何ヶ月か何年か後に、そうする時が必ずやってきて、更にもっと馬鹿だと思うんだろう、だから後悔はしていない。これでよかったのだと思う。そういうことにしよう。

 

 

 


言葉を発していないと落ち着かない。
この世から抹消されてしまう気がして恐ろしい。

 

眠る時が一番怖い。

 

自分の意識が無くなってしまったら、その間、私は誰の意識の中にも存在しない、この宇宙のどこにも存在しない、無の人間になる。人間ですらない。ただの、無。

 


死についての41のこと、のようなタイトルの本をインターネットで見掛けて、買おうかなと思ったけれど、哲学よりも医療的な小難しい内容のようなので、やめた。

 

(死にたい訳ではない)

 

 

 

ずっと追い続けているものが、いつもすぐそこにあることは、物凄く有難くて心強い。それらがそこにあることで、私の存在が肯定される。ちと宗教染みた言い方をしてしまったけれど。だから、それが無くなってしまった時の事を考えると、酷く恐ろしい。

 

いつまでもそこに居るものだと信じ込んでいるから、いつの日かパッと消えてしまったらと、今日初めて考えて、とても悲しくなった。

 

 


愛しいものは、いつまでもそこに在り続けてほしい。少なくとも私が生きている間はずっと。愛おしいものを全て残して、死ねたらよいなと思う。

 

 

 

 

ここにあるもの

 

 

突然、自分の中から色んなものがどんどんこぼれ落ちて消えて行くような感覚がして、怖くなった。

 

そんなことくらい、幾らでもある。


古いものや薄っぺらいものは、どんどん新しいもの分厚いものに押されて、落っこちて、消えて行く。そんなもの。

 

 


頭と心は別のところにあるって、誠本当だなぁと思う。
頭ではわかっていても、心がザワザワする。

 


必要なものまで一緒に落っこちていきやしないか、不安になる。


無くなったことって、しばらく経ってからでないと気が付かない。そうして気が付いてからではもう、手が届かないから、怖い。

 


どうかしがみ付いていますように、ずっしりと構えて居座っていますように、身体中のあらゆる壁に染み付いて離れませんように、不安が無くなりますように、

 

 

 

あまり考え過ぎるのはよくない。

 

 

廻る

 

 

昔、小さい頃、ある友人に、

「あなたは〇〇に似てる」と、
彼女の嫌いな食べ物に喩えられたことがあったなぁと、家で歯を磨きながらふと思い出した。

 

ずっと記憶の彼方にあったものが何故いまふと、当たり前のように帰ってきたのかと不思議に思う。

 


今となっては物凄くどうでもいい。
ただ、その時は物凄く嫌な思いをしたなぁと、懐かしく思う。

 

 

 

 

 

ずっと彼女が嫌いだった。

 

 


それからうんと過ぎて、しばらく前になるけど彼女と会って、なんていうか、変わった。お互いに。

 

彼女は素敵な人になっていて、私も大人になった。たぶん。


とりわけ連絡を取り合う仲ではないけれど、時の強さは凄いなと感じた。

 

 

 

 

 

大人になったら復讐してやる、と思っていたの。
復讐という言葉の重み、恐ろしさを全くわかっていなかったのだけれど。

 

 

もうどうでもよい。
投げやりな意味でなくて、水溜まりの水が、陽に照らされてどんどん蒸発して無くなっていくように、それくらい自然に、どうでもよいな、と今は思っている。

 

 


他人のことをあれやこれや言うけれど、自分もこれまでに、色んな人を傷付けてきた。故意にも、不意にも。

そういうふうに、廻っているのだと思う。

 

 

自分が傷付けた分、自分も傷付けられて、誰かが耐えてくれた分、私も耐えなければいけない。

 

親切にしてもらった分、私も大切にせねばいけない。

 

 

 


よいことがどんどん、廻っていったらよいなぁ。心の中の軸のようなものが、少しシャキッとした。

 

 

今日はよい日

 

 

なんてことはないのだと思う。


私が考えていることなんてのは大気圏外にあって、きっともっとどうでもよいこと、だから何も考える必要はない。なくていいんだろう。

 


無知は怖い。

 

 

 

 


落ち込んでいる日の雨は落ち着く。
とりわけ落ち込んでいるわけではないのだけれど

 

雨の日にお酒をまとめ買いすることが多い。
というより、お酒を買いに行こうとすると雨が降り出す。あぁ、雲だってビール飲みたいよなぁ、

 

 

 

本屋にいる時が何よりも落ち着く。そして静かに、熱く、ワクワクする。
小さい頃作ったダンボールの秘密基地の中にいるような気分になる。
昔読んだ、ちびっ子たちが砂場で冒険をする絵本の中にいる気分。


珍しく、カフェでコーヒーを買ってしまった。

 

 

 

 


雨が上がってしまって、少しソワソワする。それでも山の向こうに陽が射しているのは、よい。何か良いことが始まる気がする。

 

 

 

私が両手を広げたら

 

 

虫の声と、時計の針の音と、私が動く音と。

 


私と小鳥と鈴と、みたいな表現になってしまったけれど、今この状況がとても心地よい。

 

静か、とても静か。
いつまでもこの雰囲気の中に居たい。

 


どこからか、薄っすらと風が吹いてきて、そういえば雷が何処かへ行ってしまったなぁと、あれだけ喚いておいて全くお前は、と思う。

 

 

 

愛想笑いをしている時、それが愛想笑いだと気が付く前にそうしている時、酷く恐ろしくなる。罪悪感のようなものが生まれて、自分の中で自分に裁かれるような気分になる。

 


自分と酷似している人を見つけると、落ち着く。自分のことを嫌っておきながら、その人に愛着を持って、どうかそのままずっと変わらないでおくれ、と思う。全く醜い。

 


死を知っている人は強い。
死ぬまで死ねないのは、良くもあって、悪くもある。


幸せになるのには、勇気が要る。

 

 

 

 

 

する事も無く時間に拘束されながら、そうして時間を殺しながら、罰せられてでもここを抜け出したほうがずっといいに決まっていることを頭ではわかっていながら、何も動かぬまま、色んな事を考えていた。

 

 

酔っぱらい

 

 

蒸発したい時がある。
逃げる、という意味でなくて、
アルコールのように、ただただ蒸発してしまいたい。


物凄く幸せな時に、物凄く申し訳ない気持ちが混ざった時に、私は蒸発して、空気に溶けてしまいたい。

 

嬉しさと後ろめたさが混ざる時、何もすることができないので、ただ一心に、時間が少しでもゆっくり動いてくれるよう、祈るしかない。

 

 

知らない田舎の駅で降りて、何をするでもなく座っていたい。

 

いつまでも黒い空と、虫の声と、時折人工的な音に囲まれて、あらゆる意識の外に放り出されて、じっと目を瞑っていたい。

 

 

 

 

動悸がする

 

 

消えるというのは恐ろしい。

 

鉛筆で書いた文字は、消されてしまうかもしれないので、不安。

 

携帯電話のフォルダに入ってあるだけの画像は、消えてしまうかもしれないので、ヒヤヒヤする。

 

数年前に聞いた友人の声は、思い出せそうで思い出せない。

 

言葉は文字にしないとすぐに逃げて行く。

 

漠然とした思い出は、いつのまにか書き換えられてしまう。

 

一人でいるこの時間に、空間に、殺されそうになる。沈黙の中で、誰に気付かれることもなく。

 


いつまでもしがみ付いていたい。
自分の脳に、心臓に、地面に、地球に、宇宙に、ありとあらゆるものに、しがみ付いていたい。