はくまい

 

 

最近、ご飯がおいしい。
特に白米が。

 

死ぬんだろうか。
と思うくらい、一体どんな風の吹きまわしかと思うくらい、おいしくて感動している。


生きている。
ご飯がおいしいことが、こんなにも生きていると実感させてくる(?)(言葉のニュアンスが急にわからなくなる)とは、と感心している。

 

 


人間は、特に日本人は、ダイエットだ健康志向だなんだ、食への制限をしがちだけれど、もったいない。

 

いや、よいけれど。大いによいのだけれど。それでナイスバディや長寿を手に入れられるのは、とても素晴らしいのだけれど。

 


私は、毎日、今日死んでもよいと思えるように生きたい。生き抜きたい。
我が儘にも聞こえるけれど、自由に愉快に生き延びたい。

 


明日でいいやの楽しみは、今やらないとダメ。明日が来る確率よりも、三秒後が来る確率のほうがうんと高い。

 

 


そうやって生きていきたい〜〜〜

 

 

 

 

今日は5日か

 

 

昨晩、やけに時計の針の音がうるさいなと思っていたら、今朝、壊れていた。

 

蝉が最後に大声で鳴いてから死ぬみたいに、そういうことなんだろうか。

 

次はデジタル時計にしようと考えながら眠りに就いた矢先なので、ちと気が引ける。ごめんよ。

 

 


幼稚園か小学校低学年の頃によく見ていたアニメの名前を、ふと思い出した。

 

長らく思い出せないでいた、恐竜のアニメ。

 


そういうことが、ある。

 

周期みたいなものが、ある。

まっすぐ進んでいるようで、ゆっくりカーブをかけて回っている。

 


そういうことが、ある。

 

 

 

please say that I'm your treasure

 

 

人生の偏食が酷い。

 

どうしてここまで偏った生き方をしてしまっているんだろう。

 

頑固で融通が利かなくて困る。

 


人は失敗しないと学ばないというのは、なるほど確かにと思った。


今日、全く何をやっているんだと思うことをしてしまった。
馬鹿だなぁと思った。もう二度としない。

 

ただ、今日それをしなかったら、また何日か何ヶ月か何年か後に、そうする時が必ずやってきて、更にもっと馬鹿だと思うんだろう、だから後悔はしていない。これでよかったのだと思う。そういうことにしよう。

 

 

 


言葉を発していないと落ち着かない。
この世から抹消されてしまう気がして恐ろしい。

 

眠る時が一番怖い。

 

自分の意識が無くなってしまったら、その間、私は誰の意識の中にも存在しない、この宇宙のどこにも存在しない、無の人間になる。人間ですらない。ただの、無。

 


死についての41のこと、のようなタイトルの本をインターネットで見掛けて、買おうかなと思ったけれど、哲学よりも医療的な小難しい内容のようなので、やめた。

 

(死にたい訳ではない)

 

 

 

ずっと追い続けているものが、いつもすぐそこにあることは、物凄く有難くて心強い。それらがそこにあることで、私の存在が肯定される。ちと宗教染みた言い方をしてしまったけれど。だから、それが無くなってしまった時の事を考えると、酷く恐ろしい。

 

いつまでもそこに居るものだと信じ込んでいるから、いつの日かパッと消えてしまったらと、今日初めて考えて、とても悲しくなった。

 

 


愛しいものは、いつまでもそこに在り続けてほしい。少なくとも私が生きている間はずっと。愛おしいものを全て残して、死ねたらよいなと思う。

 

 

 

 

ここにあるもの

 

 

突然、自分の中から色んなものがどんどんこぼれ落ちて消えて行くような感覚がして、怖くなった。

 

そんなことくらい、幾らでもある。


古いものや薄っぺらいものは、どんどん新しいもの分厚いものに押されて、落っこちて、消えて行く。そんなもの。

 

 


頭と心は別のところにあるって、誠本当だなぁと思う。
頭ではわかっていても、心がザワザワする。

 


必要なものまで一緒に落っこちていきやしないか、不安になる。


無くなったことって、しばらく経ってからでないと気が付かない。そうして気が付いてからではもう、手が届かないから、怖い。

 


どうかしがみ付いていますように、ずっしりと構えて居座っていますように、身体中のあらゆる壁に染み付いて離れませんように、不安が無くなりますように、

 

 

 

あまり考え過ぎるのはよくない。

 

 

廻る

 

 

昔、小さい頃、ある友人に、

「あなたは〇〇に似てる」と、
彼女の嫌いな食べ物に喩えられたことがあったなぁと、家で歯を磨きながらふと思い出した。

 

ずっと記憶の彼方にあったものが何故いまふと、当たり前のように帰ってきたのかと不思議に思う。

 


今となっては物凄くどうでもいい。
ただ、その時は物凄く嫌な思いをしたなぁと、懐かしく思う。

 

 

 

 

 

ずっと彼女が嫌いだった。

 

 


それからうんと過ぎて、しばらく前になるけど彼女と会って、なんていうか、変わった。お互いに。

 

彼女は素敵な人になっていて、私も大人になった。たぶん。


とりわけ連絡を取り合う仲ではないけれど、時の強さは凄いなと感じた。

 

 

 

 

 

大人になったら復讐してやる、と思っていたの。
復讐という言葉の重み、恐ろしさを全くわかっていなかったのだけれど。

 

 

もうどうでもよい。
投げやりな意味でなくて、水溜まりの水が、陽に照らされてどんどん蒸発して無くなっていくように、それくらい自然に、どうでもよいな、と今は思っている。

 

 


他人のことをあれやこれや言うけれど、自分もこれまでに、色んな人を傷付けてきた。故意にも、不意にも。

そういうふうに、廻っているのだと思う。

 

 

自分が傷付けた分、自分も傷付けられて、誰かが耐えてくれた分、私も耐えなければいけない。

 

親切にしてもらった分、私も大切にせねばいけない。

 

 

 


よいことがどんどん、廻っていったらよいなぁ。心の中の軸のようなものが、少しシャキッとした。

 

 

今日はよい日

 

 

なんてことはないのだと思う。


私が考えていることなんてのは大気圏外にあって、きっともっとどうでもよいこと、だから何も考える必要はない。なくていいんだろう。

 


無知は怖い。

 

 

 

 


落ち込んでいる日の雨は落ち着く。
とりわけ落ち込んでいるわけではないのだけれど

 

雨の日にお酒をまとめ買いすることが多い。
というより、お酒を買いに行こうとすると雨が降り出す。あぁ、雲だってビール飲みたいよなぁ、

 

 

 

本屋にいる時が何よりも落ち着く。そして静かに、熱く、ワクワクする。
小さい頃作ったダンボールの秘密基地の中にいるような気分になる。
昔読んだ、ちびっ子たちが砂場で冒険をする絵本の中にいる気分。


珍しく、カフェでコーヒーを買ってしまった。

 

 

 

 


雨が上がってしまって、少しソワソワする。それでも山の向こうに陽が射しているのは、よい。何か良いことが始まる気がする。

 

 

 

私が両手を広げたら

 

 

虫の声と、時計の針の音と、私が動く音と。

 


私と小鳥と鈴と、みたいな表現になってしまったけれど、今この状況がとても心地よい。

 

静か、とても静か。
いつまでもこの雰囲気の中に居たい。

 


どこからか、薄っすらと風が吹いてきて、そういえば雷が何処かへ行ってしまったなぁと、あれだけ喚いておいて全くお前は、と思う。

 

 

 

愛想笑いをしている時、それが愛想笑いだと気が付く前にそうしている時、酷く恐ろしくなる。罪悪感のようなものが生まれて、自分の中で自分に裁かれるような気分になる。

 


自分と酷似している人を見つけると、落ち着く。自分のことを嫌っておきながら、その人に愛着を持って、どうかそのままずっと変わらないでおくれ、と思う。全く醜い。

 


死を知っている人は強い。
死ぬまで死ねないのは、良くもあって、悪くもある。


幸せになるのには、勇気が要る。

 

 

 

 

 

する事も無く時間に拘束されながら、そうして時間を殺しながら、罰せられてでもここを抜け出したほうがずっといいに決まっていることを頭ではわかっていながら、何も動かぬまま、色んな事を考えていた。