東京ばなな

 

 

不倫をしている芸能人のくどくどとした弁解や、
商品のパッケージにある長ったらしい補足説明、
CMの「※これはあくまでイメージです」や、
非のない店側がお客にヘコヘコ頭を下げていること、

 

こんなに居心地の悪い国だっただろうか。

出先で出会う外国人観光客たちが、口々に日本を「美しい」「素晴らしい」と、日本人を「親切」「誠実」だと言ってくれるけど、私はいつもそれを素直に嬉しいと受け取ることができない。その、なんとも息苦しく残念なこと。


もっと質素に、生きられないのかしら。
贅沢をするなということではなくて、もっと、簡単に、道を一本、引けないものなのかしら。


日本人は他人に迷惑をかけるなという考えが強く、他国は他人を許せという考えが強い、という話を聞いたことがある。

 

ロボットみたい。日本は。
クローンみたい。日本人の脳みそは。

 

 

 

と、考えていたら心臓がザワザワし出して、不安になって読みかけの本を読み始めたら、物凄くホッとした。この人の言葉ひとつひとつ、考え方ひとつひとつに胸がじんわり温まる。いつか人間が滅んでロボットだらけの世界になったとしたって、人工知能だ驚異の能力だなんだ、それらが人間以上の力を持っていたって、絶対にこの人のような本は書けない。

 

コタツに入ってこれを書き始めた途端、眠たくて眠たくて、どうしよう眠ってしまおうか、いやまだ本を読みたいなぁ、と、至極平和な事を考えている。

 

流れ星よりも、沈んでいく夕陽に向かってお願い事をしたほうが、叶う気がする。

 


明日もどうか平和で豊かな日になりますように。

 

 

23年

 

 

今日で阪神・淡路大震災から23年が経つのだそう。

昔東北ボランティアへ参加した時、関西から来たボランティアの方々が格段に熱心だった事を思い出す。

 


この間、ファミリーレストランで美味しいパフェを食べながら窓の外を眺めていた時、不意に救急車とパトカーが道を走っていって、呑気にそれを目で追っていたけれど、唐突に不安になった。

 

毎日どこかで事件や事故、災害が起こっている中で、よくもこんなに呑気に、生きていられるな、と感心すら覚えるけれど、その奇跡と言わんばかりの偶然が、時々恐ろしくなる。

 


昔、女優の黒柳徹子さんが紛争地域へ赴いた際、地雷が今だに埋まっている危険区域に平然とした顔で入っていったことがあるという噂をテレビで見た事がある。

 

「人の運命は決まっているから私はまだ死なない」とのことだった。

 

 

いつか私にもそういうことをわかる日が来るんだろうか。
今はまだ、あまり意気込んだり陥ったりすると、逆によくない気がしてならない。

 

 

運命が決まっていようがなかろうが、寿命が長かろうが短かろうが、天国があろうがなかろうが、どうか平和が訪れて、続きますようにと、結局こういう日だからちょっと願ってみたりするだけなんだけれど本当に、一日くらい、全地球人が幸せな日があってもよいよね。

 

 

死に追いつかれる前に

 

 

人の言葉にハッとすることがある。

不意に背中を押されて、頑張ろうと思える。

 

最近、最近と言っても約半年、「4」という数字をよく目にしていて、日本人たるもの気にならないわけがなく、あまり気にしていないながらも気にしていた。どっちだよ。

 

昔の友達が、4は幸せのシだと言っていた。

彼女の言葉があってあまり気にならなかったのだけれど、今日別の友人に会ったことで晴れて完全に気にならなくなった。

 

人の存在や言葉は凄い。

長い付き合いの人や信頼している人、尊敬している人の言葉は特に、力がある。

 

そうして少し楽観的になった途端、「7」の数字が目に入った。

日本人たるもの、いや「7」は海外発なのかな。「ラッキーセブン」というくらいだから。

とにかくありがとう。空に大地に風に太陽に、父に母に友人たちに。

 

 

やはり周期というものはある。

良い事が続く時と、悪い事が続く時とがあるように。

風が吹き雲が流れ雨が降り出すように、ひとつの出来事が色んな事柄につながっている。

人間(やもしかしたら動植物)の体の中にも気流のようなものがあって、何かに反応して良い気流や悪い気流が生まれ、それが体内を移動し、派生していく。

 

摂理のように、良い事と悪い事の周期は決まっているのかもしれない。

ただ、おそらく変えることはできるのだろうな、と最近は思う。

 

 

 

人生に不可能なことはないというのは、少しばかり大袈裟だけれど、本当にその通りだと思う。

ただ、その言葉に甘んじてノロノロしていると、いつの間にか人生が終わっちゃったりするんだろうね。

 

「死に追いつかれる前に生きねば」と、昔に言っている人がいた。

物凄く重い言葉だけれど、思い出してやはりハッとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

アーリーズウェル

 

 

上手くいかないことが沢山ある。


どこかから狙われているんではないかと思うほど、一気に不運を振り落とされるような時がある。

 

ただ、重要なのは上手くいかないこと自体じゃなくて、それに対してどう感じるか、どう考えてどう行動するのかなんだろう〜、そうなゆだろう〜、なゆだろう〜ってなんだろう〜、と最近思う。

 

 

上手くいかないことなんて山ほどある。誰にだってある。そんなことはどうでもよい。

 

例えばこれが科学だったら、科学の試験は赤点しか取ったことないけど、それはまぁ嘘だけど、ていうか科学と化学の違いって何?私が今から話そうとしているカガクは一体どっちなの???ていうかそもそもカガクって何なの??????????????????

 

 

とにかく、例えば私の考えるカガクだったら、よくわからん液体とよくわからん液体を混ぜて爆発して、故にそれが失敗であった時、それがカガクとしての汚点なのか、なんなのか、いやそんなこたぁないだろう、失敗してナンボだろう、胸張って生きてけよ、と思うわけ。

 

あぁもう、カガクのせいで何が言いたいかわからなくなってきたよ。ほんとにカガクったら、もう。

 

 


要するに、負けんなよってこと。
自分で自分に言い聞かせている。
そんなことに一々動じてね〜で、明日の楽しい事を考えろよ、それ夢見て清々しい朝を迎えろよ、さっさと寝ろよ、と思うわけなのである。

 

 


というわけで寝る。

 

 

追記、科学者の皆さんごめんなさい。(化学者のほうも)

 

 

 

 

タイピング練習のために

 

 

多からず少なからず、いや単に少なからず、人は他の影響を受けて生活している。

人生には沢山の選択肢があって、選ぶ選択も選ばない選択もある。

単純に考えると、同じ自分であってもその時に出会う人や環境、立ち会う出来事によって向かう道が異なってくるわけで、ということはこの世には存在し得た自分が何千、何億、と虚像の様にウヨウヨしているんではなかろうか。

 

と、ずっと思っている。

 

結局は出会わないものとは出会わず、後ろに見える道しか通って来なかったのがこの私で、それが定めだったわけで、自分の人生においてこれ以外の選択はそもそも不可能だったわけであって、要するに上の主張はただの机上の空論で、なんていうかあれ。踊る大捜査線。事件は会議室で起こってるんじゃない!現場で起こってるんだ!ってかんじ。意味わかる?私にはわからないよ。

 

 

 

要するにどう生きるにも、他の影響は避けきれないのだから、しっかり見極めて、関わるもの関わらないもの、必要なもの不要なもの、有害なもの無害なもの、その他諸々選び取っていかなくてはいけないなあと、最近思うようになった、ということ。それに尽きる。

 

先日神からの授かりもののような素晴らしい映画を観て、そうだこれだ!私はこういうものを選び取れる人間になるのだ!と決意した。

 

 

 

ずっと探している言葉が辞書にも電波にも載っていない。神隠し過ぎる。

 

 

 

おわり

 

 

おめでとう

 

 

親と芸人は偉大だ。

 

この2つの存在に私は時折、物凄く助けられる。だからどうか長生きしてください。

 


自分の人生自分にしか生き抜けないと、頭ではわかっていてもどうも、心というのは強いものね。頭と心に、自分が一人ずつ住んでいるみたい。一人よりは心強いけどさ、もっと一心同体、うまくやっていこうね。エイ、エイ、オー(オー)(オー)

 

 

 

ところで先日録画した『君の名は。』を観たのだけど、あれは本当に名作です。
ウィンパーとしては(使ったことないけど)
勿論一昨年上映されていた夏に観に行ったけれど、しかも一人で観に行ったけれど、あれ?もしかして私って友達いないのかな?と初めてハッキリ感じたのがあの時かもしれない。自我の芽生えというもの。(ハッ)(!)


しかしあの作品は、贔屓目に見ずとも素晴らしい作品だなぁと、しみじみ思う。絵のタッチとかそういうのは、ワタシ美大のビの字も無いし2Dまでしか絵は描けないけれど、映像が綺麗なのは勿論のこと、シーンの切り替えとか伏線の敷き方とか、個人のセリフの言い回しやタイミング、それから何と言ってもシーンに合わせた楽曲何より歌詞が、なんて素晴らしいんだろうと、内容を理解した上でもう一度観た今日には感慨深ささえ出てきて、瀧くんと三葉ちゃんの間にさ、“RADWIMPS”なんて出た時にはさ、あぁもうこんな時代なのかって、オーバーだけど本当にそう思ったよね。ねぇ。結局贔屓目に見てんじゃーん。しゃあないじゃーん。「この音楽に救われました。」とかって言うの、あんまり好きじゃないし嘘くせー薄っぺれーと常日頃思っているけど本当に、いつも寄り添ってくれていた彼ら。大事な勝負に向かっている時、決断に迫られて身が引きちぎれそうな時、不安な時悲しい時、この世に一人取り残されたような恐ろしさに怯えていた時、勿論ハッピーな時もラッキーな時だっていつも、彼らを頼って彼らに助けられてきたのだもの。こんなに今世紀最大の喜びはなかったわよ。まったくもう、興奮抑えきれずにこのセクション(セクション?)めちゃくちゃ文章長いやーん。やんなっちゃう。

 

 

新海監督も、なんて素晴らしい人なんだろうと、どうやったらあんなに素敵な作品が作れるのかとか、いつどこでああいうストーリーが浮かぶのかとか、どうして1つも、本当にひとっつも抜け目無く完全な映画が作れるんだとか、天は二物を与えずだとかなんだとか、もうなんだよ!なんなんだよ!じゃあ新海監督はなんだよ!絵は上手いけど俳句は下手くそなのかよ!いやあんな壮大なストーリー書ける人が俳句下手なわけないじゃんよ!じゃあ縄跳びとか跳べないのかよ!あぁそれでいいよ!もういいよ!と自暴自棄になる。なんやねん。

 


とにかくさ、こういう素晴らしい人たちが世の中を支えているんだな、本当に偉大だな、畏れ多いな、と思う。ありがとうございます。

 

 

 

 

にしても冬はつらい。(切り替え)(速)
どうして人間は冬眠できる能力がないんだろうな、と、毎年毎年思う。本当に無能。ニンゲン、ムノウ。ニンゲン、ヤクタタナイ。ニンゲン、ソノウチホロブ。完全に出来ないことはわかっているけど(過去に出来てしまったケースはあるらしいけど)、それでもなんとな〜く毎年、いよいよもうこれ以上冬は辛いと思い始めると、どうにか冬眠できないものかと悩み出す。今がまさにその時よ。外では風がビュービュー吹いててさ、もう怖い。外に出るのが怖い。頼むからこのままアタイを春まで眠らせてくれよし。(よし?)もう本当に、春まで放っておいてくれよし。(よし☺️)あぁ涙が出てきた。ていうか初めて絵文字使った。使えるんかーい

 

 

寒い寒い言いながらアイスを食べ始めているからいよいよ滅びそう。だけどアイスがニコニコしていて、ほっこりほこほこ、スプーンで掬っても掬ってもニコニコしてくれている。パナップです。ぶどう味。おいしいね。

 

 

 

あーだこーだ言って、明日生きる活力を蓄えていたの。今日一日の良かったこと、感動したこと、嬉しかったこと、学んだことを思い出して、なんとか明日を生き抜くエネルギーにしたかったのです。

 

まずは今日を生き切ったこと、お疲れ様でした。偉い!表彰状!

 


誰に向かって話しているんだろう。明日の自分に向けてだね。そういうことだね。また明日。

 

 

 

 

宇宙旅行

 

 

朝が来て、昼が来て、夜が来て、また朝が来て、
春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春が来て、
始まって、終わって、また始まって、
会って、別れて、また会って、

 

どこを目指して地球は回っているんだろう。
それから私は

 


平らな世界地図を地球儀にした途端、距離感がわからなくなる。
丸いのが正解なのに、嘘のように見える。

 

 

いつか、100万円で宇宙旅行に行けるようになったら、自分の目で確認したい。地球は本当に丸いのかどうかを。

 

 

 


小型の飛行機が、気持ち良さそうに雲の上を飛んでいて、なんだか私も自由な気分になった。どこにでも行けるな〜、と思った。