動悸がする

 

 

消えるというのは恐ろしい。

 

鉛筆で書いた文字は、消されてしまうかもしれないので、不安。

 

携帯電話のフォルダに入ってあるだけの画像は、消えてしまうかもしれないので、ヒヤヒヤする。

 

数年前に聞いた友人の声は、思い出せそうで思い出せない。

 

言葉は文字にしないとすぐに逃げて行く。

 

漠然とした思い出は、いつのまにか書き換えられてしまう。

 

一人でいるこの時間に、空間に、殺されそうになる。沈黙の中で、誰に気付かれることもなく。

 


いつまでもしがみ付いていたい。
自分の脳に、心臓に、地面に、地球に、宇宙に、ありとあらゆるものに、しがみ付いていたい。

 

 

ナポレオン革命

 

 

人生の軸や、運気や、タイミングが変わることがある。

 


絶対にノーだと思っていた事を受け入れるようになったり、ラッキーが舞い込んでくるようになったり、これまでズレていた歯車が本当に耳元でカチッと音を立てて、動き出したりすることがある。

 

そういうものって前触れもなく、チマチマと、グラデーションのように動いていって、そうしていつのまにか白から黒に変わっていたりする。

 


違うものを違うと言うようになり、雨人間から晴れ人間に変わった、それも驚異的に。


タイミングというものは、本当に大切で、一度それがズレるとしばらく狂う。ズレて、ずれて、すれ違って、すり抜けて、なかなか巡り会えない。

 

それが一度ピタッと会うと、今度は面白いように、漫才を観て腹を抱えて笑うように可笑しく、上手いように物事が進んでいく。

 


明確なキッカケは、無いのだと思う。
変えようと思って変わるかと言うと、よくわからない。

けれど何かをすれば、一歩でも足を動かして少しでも顔の向きを変えたら、必ず何かしらが変わる。自分の力を加えれば加える程、良し悪しとは別に、変わっていく。

 


そういったことが人生に何度も、やって来る。

 

 

 

 

さぁ変えてみせようじゃないか!
(完全に民衆の前で革命を宣言する、英雄ナポレオンの気分)

 

 

なながつみっか

 

 

人の優しさが悲しい。
嬉しいと悲しいは表裏一体なのかもしれない。

 

人の優しさが悲しい。
そっとしておいてくれ〜〜〜、頼む〜〜〜、そっとしておいてくれ〜〜〜、と、思う。

 


物凄く有難いと思う。
喉を締め付けられて言葉が出ない程、感謝し切れないことがある。多々ある。

 

酷く嬉しい。
親切にしてもらえること、笑顔を向けてもらえること、目を見てもらえること、名前を呼んでもらえること、思い出してもらえること、存在を認めてもらえること、本当に有難くて、幸せだぁなぁ、と、思う。

 

けれど私は人様から親切を頂けるような生き物ではない、身の丈に合っていない、人の、触ったら壊れてしまうような貴重な優しさと、私という生き物が不釣り合いで、どうかその時間を無駄にしないでおくれ、どうかどうか、と、思ってしまう。

 

それはそれは地面を掘ってブラジルに行こうとするくらい時間の無駄で、蛍光灯の光で海の水を全て蒸発させようとするくらい無意味で、白紙に白を塗りたくるくらい価値がわからない。

 

 

 

誰かの人生を犠牲にするのは、いけない。0.1秒でも、取ってしまうのはいけない。昔何かで、「0.1秒の重みを知るには100m走で2位だった人に聞いてみろ」というような表現を聞いたことがある。つまりそういうこと。そういうこと。

 

こんなこと、言っても仕方がないのだけれど、もらった分のあれやこれやを、返すことができないから、どうしたもんだ、と悩む。


嬉しいんだか悔しいんだか涙が出る。
情けなくて申し訳なくて、更にはこの感情を上手く処理出来ないから、涙を流して対応することしかできない。所詮私の脳みそなんてそんなものよねぇ。

 

 

 

時折、蒸発してしまいたくなる。
単に水が蒸発して消えるように、蒸発してしまいたい。

 

石ころになりたい。
道端の隅の、誰の邪魔にもならないところにいる、石ころになりたい。時折小学生の暇潰しや、鬱憤を抱えている人の憂さ晴らしに、気付いてもらえればよい。

 

 

夏の晴れた朝に、時折取り残される。寂しくて恐ろしい。

 

 

 

 

というのを、夏の盛りの日に、書きかけたままだった。そうして今、もう一度同じことを考えている。

 

 

グーグルアース

 

 

電車に乗っていると、色んな空間がある。割れない、でっかいシャボン玉のような、空間

 

スーツ、バカンススタイル、スポーツウェアの人がいる。

 

新聞、本、携帯、外を眺めている人がいる。

 

色んな駅を通って色んな場所で人が乗り、降りて行く。


工場、家、川、ドレス屋、美容室、たくさんある。

 

運送トラックに乗る人、軽トラックで農作業に向かう人、歩く人、自転車を漕ぐ人、それから電車に乗っている私

 

 

グーグルアースのように、上からここを見るイメージをしてみる。


物凄くちっぽけで、高校生の時に顕微鏡で見た微生物のように、私はこの地球の中にいるのかどうか、ズームにしたってわからないほどだろうなと思う。

 


それを、まるでこの世界は全て私のものであるかのように生きているのは、ほんのり滑稽で、虚しい。

 

 

 

 

おもてうら

 

 

日陰の、干涸びたコンクリートの裂け目から生えてくるタンポポは、何を考えているんだろうか。

 

どうやったら、あんなに暗い、エネルギーのない、窮屈で孤独なところに、根を生やし緑の葉を付け黄色い花を咲かせられるんだろうか。

 


不本意ながらちとメルヘン風でキモい。

 


私は、枯れるのを恐れて日向を探すんだろう。ニョキニョキ根を引っこ抜きながら伸びて行って、日陰を出る前に枯れ腐ってしまうんだろう。

 

たとえ隣の奴がそうして死んで行くのを見ても、私はその横で陽射しを求めてブチブチと這いつくばって行くのだろうな。

 

 

 


フクロウは夜が好きなんだろうか。

 

 

透視

 

 

小さい頃、透視に成功したことがある。

 

家の二階で、無くしてしまったおもちゃの指輪を探していたときのこと、

 

どうにも見つからなくって、どうしてそうしたのか、目を瞑って念じてみたの。

そうしたら線が何本か引かれただけの、粗い地図のような絵が真っ暗い中に浮かんできて、その中にひとつ、ピカッと光る場所があってね、目を瞑ったままその光の方へ歩いてみて、あぁここだと目を開けて、ちっとかがんで探してみたら、本当にそこにあったの。

 

嬉しくなっちゃって、ついでにもう一個無くしていた物に念じをかけてみたら、あらまぁまた地図が浮かんで一箇所光るのよ。そいでそこに向かって歩くと、やっぱりそこにあるの。

 

 

思えばあれが自我の芽生え。初めて自分を天才だと思った日。後にも先にもあの日きり。私の才能は一体どこへ逃げてしまったんだろう。

 

 


それから時は流れ大学生も初めの頃。
当時の先輩にポーカーだかペリーだかなんだか、そういうカードゲームを教えてもらったの。


4〜5人でやるのがいいらしいんだけど、裏返したトランプの中から各自一枚ずつカードを選んで、皆に見えるよう、自分の額の前でカードを持つの。(自分で自分のカードは見てはいけない)

 

そいで他のメンバーのカードを見ながら、心理ゲームのように相手の反応を伺いながら、何回かまでは自分のカードを選び直してよくてね、最終的に最も数字の小さい人がバツゲームやらなんやらを食らう、というゲーム。だった気がする。


そのゲームには「自分のカードを見てはいけない」以外の反則がないので(たぶん)、相手にでたらめの数を教えたりなんだりしてもよいのだけど、私はふと、「自分のカードの数を当てればいいんじゃん」と、エジソン並みの発明をし、透視をし始めたわけ、そうしたら暗い中にぼんやり数字が浮かんできてさ、一発で当てちゃったのよ!

 

 

まぁ、まぐれじゃん、まぐれだと思うじゃん。

 

でもさその後も二回透視してみたら、なんと二回続けて当たったの、ちゃんと柄まで、一度目は運良いくらいに思ってた先輩方もいつのまにかMr.マリックを見るかのような目で私を見てたよね。

 

 

これが人生二度目の、自我の芽生え。
泣きの天才リターンズ。

 

 

 

と、いうわけで、私には秘めたる力が宿っているのでは!と、それ以降何の能力も発揮していないがそう思うのである。

 

 

二度あることは三度ある、起こして見せようハプニング。

 

 

 

 

 

おわり

ココナッツオイル

 

 

タイで買ったココナッツオイルが、冬になるとカチカチに白く凍るの。

 

ついこの間までは透明な液体だったのだけど、今ふと見たら、濁ってきている。

 

ココナッツにはそういう性質があるんだろうか。
二年ほど眠らせて、先日初めて使ってみたら、本当にココナッツの香りだった。

 

 


こんな風に、自分でない他を見て時の流れや季節の移り変わりを感じる。自分という中でずっと生きていると、そういう感覚が麻痺してしまうんだろう。

 

新しい世界へ踏み出すのはとても度胸が要るけれど、今が何月なのか、自分は今幾つなのか、時折忘れてしまうような世界に居るよりは、ずっといい。

 

 

いつかエジプトへ行ってみたいな。