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タイトルが付けられない

 

 

悲しいことよりも、楽しいことを1000年先まで覚えていたほうがよいに決まっている。

 

昨晩の不可解な憂鬱から一変、今晩は楽しくて楽しくて仕方がない。躁鬱病かもしれない。
この宇宙で今、一番私が幸福だと、ナサを通して主張できそうなくらい幸せ。

 

何だって自分次第で、私の人生だもの、私さえこの人生に満足できれば大いによい。いつだって、後にも先にも今にも、最終判断を下すのは私しかいない。

 


幸福ってぇのは、大胆で色濃くて形あるものが全てではないなと今日、初めて気が付いてしまった。世紀の大発見。スーパースター。


ちっとお酒を飲んで、安心できる好きな人たちと会話をして、何よりも落ち着く自分の部屋に座って、あったかい電気を点けて、大好きな音楽をかけて、時間の罠も解いて、あらゆる支配からすり抜けて、自由、これが自由だ!という気分で、爽快。

 


こういう素朴で強固な幸福が、いつでもあったらよいなぁ〜、と思って止まない。もうすぐ終わってしまうのも感じている。ちと寂しい。でも今は幸せ。嬉しい。

 

 

パラレルワールド

 

 

何に恐れているのかわからない時が、この世で一番恐ろしい。

 

怖いのか、悲しいのか、悔しいのか、虚しいのか、全くわからないわけではないけれど、ピントの合わない画面を見ている時のようにモヤッとしていて心地悪い。

 

落ち着かない。ソワソワする。
時計の音が迫ってくる。
朝が近付いているのが、目に見えてわかる。ように感じる。

 


眠るのが怖い。
どうせ眠れないんだろうけど、眠れないなりに眠れるんだろうけど、意識が無くなった時が、恐ろしい。
眠って忘れられたほうがいいに決まっているのに、眠ったら体のどこかの細胞が壊死してしまいそうな気がする。

 

 

このまま、パラレルワールドへ移動できないかしら。こっちの世界は別の私に任せてしまって。

 

 

 

 

眠れない。夜が憂鬱。

どうせ今日も眠れないんだろ、と思いながら布団に入るのが苦痛。
次の休みは、病院へ行こう。

 

 


というちょっとヤバめなメモを昨晩残して眠った。いや結局眠ったんかい。昨日の眠りは最悪に最悪だった。算数みたいにマイナス×マイナスがプラスになったりしないから最悪。極悪。極道。マジで極道。指詰められる系。

 

もう最後に熟睡したのなんていつ?何時何分何十秒?地球が何回回った日?いーけないんだ、いけないんだ、せーんせーにーいっちゃーおーう、ここはどこ?私は誰?もしかして私たち、入れ替わってる〜〜〜〜〜〜!?!?!?

 

君の前前ぜっ

 

 

 

 

 

眠るのが憂鬱ってヤバくない?睡眠って人生の一番の醍醐味じゃない?毎日の生活における至福じゃない?春眠暁を覚えずじゃない?ていうかもう夏じゃない?ていうかカエルって夜行性なの?ホタルって絶滅したの?生き物はいつ歳を取るの?太陽にどこまで近付いたら焼け死ぬの?月は冷たいの?ユートピアってどこにあるの?いつになったら火星に住めるの?昔「俺は火星人なんだぜ」って10年近く私を騙し続けていた親戚のおじさんは今でも火星人なの?見た目的には土星に住みたいし名前的には金星に住みたいけどなんで地球だけ名前に星が付かないの?なんで地星とか地球星とかじゃないの?どう考えたって星縛りだよね?なんで暗黙のルール守んないの?なんでそこで個性見せちゃうの?そういうのが世の中をダメにするし地球温暖化も進むんだろうが!!!!!ちょっと自転と公転の仕組みがわからないけれど毎日地球の昼間側の人間が一斉にジャンプし続けたら太陽からちっとでも離れて地球温暖化を防止できたりしないの?ピカソ?ベートーベン?リンカーン?継続は力なりじゃない?もうわけわかんない。春眠暁を覚えずあたりから訳わかんない。もう何が言いたいのか全くわかんない。もう嫌だ。マジもぉ無理、、、、、、、リスカしよぉ、、、、、、、、、、、、、、、

 

 

 


それでも今日も今日とて楽しかった。何も愉快なことはないけれど。生きていることが楽しい。

 

明日はも〜っと良い日になるよね♩ハム太郎♪♫🎶

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘケッ

 

 

本当の幸せというのは、何がそれなのかはさっぱりわからないけれど、決して万人に愛されて、チヤホヤされて、好きなものだけに囲まれていることが、それというわけではないと、今思う。限定かもしれない。今。

 


電車に揺られて、お酒も入って眠たくて、座れる席もないこの30㎠の空間、ここが今、今の中で最高に幸せだと思う。

 

特別に何もない。好きなものがひとつふたつ、あるだけ。でも今が一番幸せ。

 

 

普段自分がいる世界、考えている空間からずば抜けたところにいる人に出会うと、もう訳がわからなくなる。
彼も私も、正しくはないし間違ってもいない。でも間違っているし正しい。ジャッジする人もいない。それが心地よい。

このままどこかへ行ってしまいたい。どうせどこにも行けずに、いつもいるところへ帰っていくのだけど

 

 

 

平凡

 

 

単細胞生物には、感情があるんだろうか。


ゾウリムシ、ミカヅキモ、アメーバ、(他は知らない)、彼らは喜んだり怒ったり悲しんだり、するんだろうか。

 

私の偏見で言うと、しない。感情はない。
けれど生きとし生けるもの、感情も無く生きることがあるんだろうか。
生きるのには、必ず何かしらの意味がある。何かしらの目的があって、この宇宙に生まれる。

 


詰まるところ、単細胞生物には、「生きたい」という感情のみが存在する、ということにする。自論にて。

 


しかし多細胞生物の私たち、も、結局行き着く先は「生きたい」なんではないかと思う。
喜ぶのも悲しむのも精神を安定させ生き延びる為、お腹が空いてご飯を食べるのも生きる為、怪我をして治療するのも死なない為、娯楽に興ずるのも寿命を延ばす為、なんでも終着点には「生きたい」がある。

 

 


単細胞生物は感情が無さそうでよいな〜、よいかどうかはわからないけどどんな気分なんだろうな〜、あ、感情無いから気分も何も無いか〜、ハハハッ、とかなんとか思っていたけど感情あるのか。あるのか。あるか。そりゃああるか。生き物だもの。

 

それでも感情が無かったら、と考えると、凄い。何が凄いかって、それはわからないけど凄い。たぶん宇宙飛行士が初めて宇宙に出た時くらい凄い。子どもが初めて記憶を持った時くらい凄い。卵が孵化する時くらい凄い。虹の始まりを見た時くらい凄い。風の始まりを見た時くらいにも凄い。全部知らんけどたぶんそれくらいに凄い。途中から何の話をしていたのかわからなくなるくらい凄い。

 

時折、この感情要るか?と思う感情もある。忘れたけど。ある。無い方がよいであろう感情もある。主に怒りの感情。主に要らない。あっても良いことがない。自分も相手も嬉しくない。嬉しくないことは良くない。良くないことは嬉しくない。マジカルバナナゲーム終わり。下手くそかよ。あれめちゃくちゃ得意な人いるよね。小学生の時に得意な女の子がいて一瞬だけ尊敬してた。

 


怒ると本当何も良いことがない。切り取ったほうがよいと思う。そう思っていたのだけど。今日、革命が起こった。別に革命は起こってないんだけど、革命が起こった、って、響きがよいね。格好いい。革命起こしちゃう自分も格好いい。革命は起きてないんだけどね。


要するに、怒りという感情の必要性を、今日ふと、感じたのである。うまく言葉にできないのがもどかしい。
これもきっと、行く末に「生きたい」がある。生きたいから怒る。生きる為に怒る。だから怒ることも必要。怒ってよい。必要な時だけに。

 


それでもやっぱり寛大になりたい。寛大であってほしい。平凡に暮らしたい。平和というよりもっと、平凡でよい。鈍臭いくらいがいい。

 

 

 

 

夏はよい。

 

夏は楽しい。夏はキラキラしている。夏はワクワクする。夏は力強い。夏は格好良い。夏は清々しい。夏は心地よい。夏は気持ちいい。夏は美しい。夏は愛おしい。夏は季節の中で一番形容詞を獲得する。

 

夏はよい。

 

 

今夜、突然にカエルの合唱が始まった。彼らはなんなのだろう。確かに昨日までも、ポツン、ポツンと声は聞こえていたけれど、今日の団結力は凄まじい。やはり指揮者がいるのか。

 


カエルの合唱は夏を報らせる。
ゆえに今宵、夏が始まった。
非常に、おめでたい。
夏は永遠に続く気がする。

 

 

カエルの鳴き声は落ち着く。
鳥の声、風の音、虫の声、時計の音、猫の鳴き声、波の音、人の話す声、よりも遥かに落ち着く。

かと言ってそれらの一切無い、カエルの声だけがどこまでも響き渡るところでひとり暮らしていたら、ヒステリックを起こすに違いない。だから人生はいつだって難しい。いつだってバランスが大切だ。

 

 

 

夏はよい。

私は夏になりたい。

 

 

トニモカクニモ

 

 

物凄く幸せな時は、どうしたらよいのかわからなくなる。


嬉しい、楽しい、幸せ、あらゆる正の感情がそれぞれ満杯にまで達した時、その後一体どうしたらよいのかわからない。

 

人にこの喜びを伝えるべきなのか、一人こっそりと大事に抱え込むべきなのか、それともこうして日記に書いて、誰とでもない誰かが通り際に知ってくれたらよいのか。結論それがよいと思ってここに書いているけれど。完全に自己満足だけれど、よい。人生はなんでも自己満足だ。

 

 

会いたい人に会った時、見たいものを見た時、行きたいところに行った時、欲しいものを手に入れた時、時間や空間を忘れられる時、そこから自分が消え薄れる時、それらが一気にやって来る時、死んでしまうのではないかと思う程、幸せに思う。あまり死の話をするのはよくないけれど、幸福と死は隣り合っている時がある。120パーセントの自論で。

 

 

 

今日が終わってしまうのが酷く勿体無い。日本人の精神なのか、なんでも区切りを付けがちだ。昨日は昨日、今日は今日、と仕切りを作られてしまうのが怖い。日の出と共に、あんたのぬか喜びはもう終わりよ、と言われているようで悲しい。嬉しいことはいつまでも喜んでいてよいと思うの。いつまでも自惚れて幸福に浸っていればよいと思うの。アタイは。

 

 


兎にも角にも(トニモカクニモという言葉が好き、響きが楽しい)、私は今とても幸せで、生きていてよかったと思う。あの世でもこんな幸せがあるんだろうか。ある気がする。それでも生きていてよかった。