昔懐かしのものを掘り返すと、一生そこから抜け出せなくなるのでは、と最近不安になる。

 

その日その場所に閉じ込められている何万体もの自分が、ここぞとばかりに手を伸ばして私の足首を掴もうとしてくる。

 

みんな寂しい。
私も寂しい。

 

だけれどそこに居座ってしまっては、幾らそこがこれまでで一番幸福な場所であったとしても、よくないのだと思う。例え死ぬまでで一番よい場所であったとしても

 

だからあんまり、過去の思い出に浸ってみたり、昔好きだったものに触れてみたりするのは、よくない。別によいのだけど。

 

いつだって今の自分が一番強いけれど、それでも同じ私、いつ引きずり込まれてもおかしくないものよ

 

 

 

こう、私は、私の私による私の為の、私だけの道を築き歩き人生を形成していくわけだけれど、どうやったって周りの引力に引かれて、重力に押されて、仕掛けられた石ころに躓いて、落とし穴に気が付いて遠回りをして、そういうふうに生きていて、生きて行かねばいけなくて、それでよいのかと時折疑う。

 

雨が降ったから予定を変えたり、夏だからと明るい衣装を纏ってみたり、好きな人の好きな音楽を聴いてみたり、憧れている人の目線の先を覗いてみたり、電車が遅延していて別の線に乗り換えたり、明日は早いからといつもより早く布団に入ったり、挙げたらキリが無いくらい、私は一人では生きていない。

 


本当によいのだろうか、
本当にそうしたいのだろうか、
はて、さて、真実や如何に、

 


そうであってもこれが全部、私の全部であったらよいなぁ。

 

これが私の人生で、これが私の生き方で、これが私の思考回路で、これが私そのものであったら、それがよい。

 

 

 


今日はもう少し、夜更かしをしよう〜

 

 

 

 

考えない事が多くなった。
何も考えない事はこんなに楽なのかと知った。

 

これまで何に対してそんなに頭を痛め神経をすり減らして考え込んでいたのか、馬鹿馬鹿しく感じてくる。

 


考えない事は虚しい。
ただ酸素を与えられているだけの、抜け殻のように感じる。

 

今もあまり、脳が動いていない。
物凄く薄っぺらい。

 

 

 

何事にも境界線があって、いま、そこを、ウロウロしている。
彷徨っているわけでもそこに居たい訳でもなく、ただそこにいる。

 


時間が止まっている気がする。
止まっているのかもしれない。

 

 

バネキイ

 

 

訳のわからない程、よくないことが続いている。

 

同じ事を何度も考えて、何度も同じところで躓いて、そいでも昔の自分だったら引き返していたところで一歩、歩いてみた。特別何も変わらないけれど、たぶん大きく変わっている。

 


生きねば!

 

はてさて

 

 

来たところに戻る、結局いつもそうなのかもしれない。

 

体に紐を巻いてトラックを引っ張る人がいるけれど、私の腰にも、どうやっても千切れないゴムが括り付けられていて、こう、地球の中心から逃げるように、私はいつもそれを引っ張っている。ある程度までは引っ張れるけれど、力に耐え切れなくなって引き戻されてしまう。

 

その繰り返しをしている気がする。

 


それでも少しでも遠くへ行けるよう歩き続けるのか、ゴムを引きちぎる方法を探すべきなのか、地に根を生やして別の考えを見つけるべきなのか、はてさて。

 

 

トラック

 

 

言葉は難しい。

 

重かったり軽かったり、冷たかったりあったかかったり、尖っていたり丸っこかったかり、透けていたり濁っていたり、遠かったり近かったり、硬かったり柔らかかったり、暗かったり明るかったり、その他諸々、する。

 

言葉の影響力は凄い。
良かれ悪かれ、私の発する言葉は何らかの力を乗せて、誰かの元へ届く。そうして磁石で吸い寄せたり弾いたりするように、その人の行く先を曲げてしまったりする。

 

あぁまた、あぁまた、と、日々感じる。また逸らしてしまった、また捻じ曲げてしまった、

 

どれだけそれが恐ろしいことか、と最近よく思う。声を発するのを躊躇うことがある。

 

 

その分わたしも影響を受けている。いつのまにか流されていたりする。

 

 

陸上競技場のトラックみたいに、それぞれの通る道が決まっていたらなと思う。
誰とも交錯しない、けれどすぐ隣に誰かがいる、自分だけの道が、あったらな〜〜、と、思う。ちょっとよくわからない。

 

 

 

いつも途中まで書いて、なんだか違うな〜と思って、飽きて、諦めて、放ってしまう。数日前の自分を、フォローしてあげている気分。言葉はそういうもの、扱うのが難しい。

 

 

 

おわり

夏 その2

 

 

夏はよい。

 

夏はよい。という始まりもよい。
枕草子の気持ちが少しわかる気がする。

 


夏は寛大

 

夏は何でも認めてくれる。
認めるというよりも、許してくれる。

 

大丈夫だよ、それでいいんだよ、
というよりも、

 

べっつにそんなのよくねー!?ていうか飲み行こうよ!?!?!?明日仕事??何時から???いやいや朝まで行けるっしょwwwww

 

みたいなかんじ。
誰かのイメージに似ている。

 

 

 


あれだ

 

 

 

 


職場の同僚の友人

 

会ったことないけど、話を聞く限りだとそんなかんじ

 

 

 

 

夏は凄い。

 

夏になると、冬に考えていたあれこれがどうでもよくなる。

 

夏になると、冬にできなかったあれこれができるような気がする。

 

夏になると、何でも大丈夫だと思う。

 

 

そう思うことで、自分を奮い立たせている。冬に負けていた分、夏になると闘志が芽生える。なんか違うけど。そんなかんじ。

 

 

昔の人々が、生きた人間を神に捧げていたように、そうすることで村を守っていたように、そうすれば村を守れると思い込んでいたように、私もそうする。

 


夏は大丈夫だ。
夏はなんとでもなる。

 

 

タッタッタタッ

 

 

懐かしい、と思うところに戻るのは、なんだかよくない気がしてきた。

 

いいのだけど。

 

いつまでも過去に囚われてはいけない、というのとは別世界で、なんていうのかな、寿命が縮んでしまうような、時間を喰ってしまうような、そんな感覚で、よくない気がする。

 


久しぶりに会う人に変わったねと言われると、ホッとする。これも同じ意味で。良い意味で変わったのであれば、尚よい。

 

 

何も考えずに、手も足も動かさずに、目や口も動かさずに、血液や細胞の動きも止めて、ぼんやりすることだけにただ集中すると、時間を止められるような気がする。本当に針の動きを止めるという訳でなくて。

 


昔、一度だけ、時が止まった瞬間を見たことがある。その場にいたことがある。勘違いなんだろうけれど、確かにあの時は、時間と空間が、シン、と、止まっていた。

 

もしかしたらあの日、私は時空を移動してしまったのかもしれない。あの日の時間が止まる前の私と、今の私は、別の世界にいるのかもしれない。と考えるとワクワクするしハラハラする。

 

パラレルワールドというのは、本当にあるのだと思う。しかもひとつだけじゃない。だからたぶん、平行した空間に、私がもう何人も、居る。ホイッと向こうに行けないかしら。反復横跳びの流れで、タッタッタタッと、行けないかしら。