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私は無宗教

 

 

許すというのは難しい。

許すというのは勇気が要る。
許すことは自分に負荷を掛ける。
本当に許せているのか。
許すとは、何か。
私は許しているのか。
そして、許されているのか。

 

 

 


有名な作家の有名なワンシーンに出てきそうな一節だね。ね。(ウィンク)

 

 

 

 

 

試されている気がする。
度量や生き方を、天井で賭け事でもされながら、試されているのかもしれない。

 

お前にはこれが許せるか、お前にはこれを受け入れる寛大さがあるのか、お前は一体どんな生き方をするのか、と。酒つまみ片手にでもベットしているんだろう。

 

 


神は凄い。
都合の良い時にしか神を信じないけれど(どうかこれを読まれていませぬよう)、神は偉大だ。

 

神は何でも知っているし、平等だ。
神は万事を許す力を持っている。
裁くのは任務であるだけ、本当は何だって受け入れてくれる。

 

 


これ以上神について話すと一週間後には怪しい宗教団体に目を付けられ一ヶ月後にはその宗教団体に入り、一年後には立派な団員となって三年後には主力に、五年後には教祖の右腕となり、二十年後には己が教祖となって新たな宗教団体を立ち上げるまでになるのだろう。やぁおぞましい。

 

 

 

相手を鏡だと思えたらよいのだけれど。
あなたは私、あなたも私、君も君も、あっ、やぁ、君も、あっ、今日もいい天気だね、君ってつまり、私、
みたいな。

 

 

 


みたいな。

 

 

 

 


 

 

 

 

許すことが正しいわけではない。
それでも全てを飲み込めたらよいなと思うし、私も全て許されたい。飲んでくれ。私を。消化してくれ。灼熱の胃液で。

 

 

 

 

ピー・エス
私は無宗教です
(全国の宗教団体に告ぐ)

アルコール

 

 

お酒を飲んで、飲んで飲んで、翌日のことをちょっぴり気にしながら、それでも飲んで、黄金比というのか、丁度よいところに来ると、うまい具合に蒸発できるのではないかと、思う。

 

アルコールだけに(?)、蒸発して(?)、消えてしまえるのではないか、と思う。

 

特に暗い意味ではなく、まぁいい意味でもないかもしれないけれど、風が吹くように、太陽が地を照らすように、ごく自然な思いで、そう思う。

 

 

酔っ払っているので、何を言いたいのか、よくわからない。

 

けれど、少し理性を欠いた時のほうが、重大なことを知る気がする。今はよくわからないけれど。

 

 

終わってほしくない瞬間がある。
今が、少し、そうかもしれない。
自由で、安堵できる、今、これが、永遠でなくとも、もう少しだけ、続けばよいなと思う。

シンデレラ

 

 

 

真っ直ぐなものは美しい。

 

真っ直ぐなものを見ると涙が出る。
いつのまにか自分が、グニャグニャと曲がってきてしまったことにハッとして、きっとその醜さに涙が出る。

 

 

聖人のように、生きられたらどれほど素敵なことだろうか。
自分という認識がある限り、どうしたって自分を中心に生きてしまう。

 


世の中が、あらゆる人間や動植物や生きとし生けるもの、地球や宇宙にあるもの全てが、平和であったらよいと心から思うけれど、結局は我が世、天秤に掛けたら宇宙なんてすっ飛んでいってしまうんだろう

 

 


無意味なことをずっと考えている。自分の中で底尽きるまで考えると、目眩がしてくる。脳が、もうやめてくれと、訴えている気がする

 

 

 

間違っていることなんてないのだと思う。正しいことも。

 

好きの頂点

 

 

好きの頂点は、無敵だ。


何かを好きだと思っている時、言葉にし切れぬ幸福感に埋もれる。

 

誰かを好きな時、何かを好きな時、好きな人と一緒にいる時、好きな音楽を聴いたり好きな本を読んだりしている時、好きな色の服を着ている時、好きな言葉に出会った時、好きな雲が流れている時、好きなことを好きなようにしている時、そしてそれらを改めて好きだと思う時、涙が出るほど幸せだと感じる。

 

その分、好きが崩れて無敵が頂点から落っこちる時が怖い。


好きなものを好きでなくなる瞬間には気が付きにくいけれど、それに気付いて好きだったことを思い出すと、寂寥感というのか、なんなのか、とにかく私はアレが駄目だ。
好きなものを好きでなくなるのは悲しい。

 

逆もまた然り。
逆の場合は人のみに限られるけれど、自分を好いてくれていた人が、離れていくのは寂しい。一時でも好いてくれたことはとても嬉しいけれど、離れていく寂しさよりは大きくない。


それ故時折、一定の距離を図ってしまう。山岳家が登山から下山へと変わる前に、天に向かって投げたものが落ちてくる前に、私は逃げ出したい。

 

 

いつまでも、好き続けられればよいのになぁ、一度好きになったものや人を。とても幸せだろうになぁ。

心を亡くす

 

 

最近よく思い出せない。

 

誰と何を話したとか、誰に何を話しただとかが、思い出せない。

 

確かに誰かと話をしたし、確かに誰かに話をしたんだが、どうにも思い出せない。

 

悪い話なら構わないけれど、「楽しかった」という思い出だけが残るのはちっと寂しい。ちゃんと具体的にどう楽しかったまで、覚えていたい。

 


同じ人と同じ会話を三度くらいせねば、駄目なのかもしれない。

 

 

 

忘れるというのは恐ろしい。

「忙しい」は心を亡くすと書くけれど、「忘れる」も心を亡くしている。どちらも似ているけれど、だいぶ亡くすの意味が違うように思う。忘れるほうが怖い。


 

 

いつかは死ぬ、と思うとなんでもよい気がしてくる。
色んなことを考えて、どうにもならない時は、そのうち死ぬもんなぁ、と思って考えるのを止める。
特に、不穏な意味はなく。

 

 

人間到る処青山在り

 

 

世界は広い。
と、ちっこいテレビを見る度に思う。


世界から見たら自分はアリだと、知人が言っていたことがある。勿論アリにもアリの人生があって、きっと私なんかより何百倍も充実した生活を送っているに違いない。単にサイズの話である。

 


最近のテレビはあまり面白いと思わずなかなか見る機会は無いけれど、それでもテレビのおかげで知る事は多い。


そうして少し世界を知ると、自分がいかに幸福の域に居座っているのかを知る。

それでも下を見てばかり、
下を見て優越感に浸れるのならばよいけれど、そういう時ばかり上を見て落ち込む。

 

 

 

人間到る処青山在り、という言葉を、ほんの数日前に知った。
死ぬところは何処にでもあるという意味らしい。

 

 

何だって自由だ。
実に、世界は広いのである。

 

 

HP

 

 

辞書に憧れていた。昨日まで。


言葉を何でも知りたくて、ありとあらゆる言葉と表現を知ることが何よりも素晴らしいと思っていた。


言葉では表し切れないことは沢山あるけれど、それでも知っているに越したことはない。辞書になりたいと、ずっと思っていた。

 


が、知らないほうがよいこともあると、尊敬している人が教えてくれたのである。


人間は自分の感情や存在や人となりを何でも言葉に当てはめたがるらしい。

 

そうできたほうがよいと、私は思っていたんだが、どうやらそれで自分をがんじがらめにしていたらしい。

 


偉大だ。
新しい見方を手に入れると、ちょっぴり強くなれる気がする。ゲームの中でキャラクターを強化させていくような、感覚で。