今日のこと

 

最近BTSにハマってちょこちょこと聴いているのだけど、『Stay Gold』は本当に素晴らしいね。芸術だ。

 

朝は大体気分が乗らないので好きな曲を聴いてから家を出るようにしているのだけど、今日の『Stay Gold』は格別に美しかった。日中もずっとその余韻に恍惚としていて、内から沸々と湧き出るものがあって、あぁ今、自分が生きていることに感動しているんだなと思った。「生きていてよかった」、大袈裟かもしれないけど、本当にそう思ったのだ。

 

死んでいたらこんなに美しい音楽にも出会わないわけだし、それだけで、温かい感情が生まれる限り、生きていて損はないだろうなと思った。

 

 

日々、よくない感情は生まれる。

昨日だって、ちょっとしたことで物凄く落ち込んだ。

今日だって、心がチクリチクリと刺される思いをした。

明日もきっと、そういうことがあるんだろう。

 

 

それでも、やっぱり、素敵なことが起こって、それに心揺さぶられる限りは、生きていていいんだと思う。

 

 

今日も夕焼けがあたたかくて綺麗で優しくて、涙が出た。生きていてよかった。

 

 

 

昨日に引き続き

 

 

 

幸せは各々の中にある筈なのに、この世の全員が幸せになることは絶対に無いんだということに、悲しんでいる。

 

チャンスはあるのに、本当は簡単なことであるはずなのに、絶対という証明は無いのに、分かり切ってしまっている。絶対なんだ。

たぶんずっと、頭の片隅にそういう考えが眠っていて、今日ふとハッキリ言葉に起こしてみたら、とっても悲しくなった。

 

私を含めて幸せの基準が外にある人が多いからだろうし、根本的に、人間同士の争い、命の絡む争いから心の中だけの見えない争いまで、日々絶え間なく起こっているからだ。

 

 

 

どうして?

 

 

 

私だって常に人に親切にできるわけじゃない、私か相手かどちらかが死ななければいけないなら、死にたい死にたいと言いながら結局命を乞うてしまうことも分かり切っている。

 

理由はすべて、自分の中にある。

みんなそれぞれの、身体の内側から起こっていることなんだ。

 

 

遣る瀬無いね。

 

 

 

せめて自分のことだけは、大事に大事に想えたらいいのにね。それすら困難にさせる、狂った世界、を、作り上げたのもこの人間、おかしな循環が起きている。

 

 

 

だから結局、さっさと世界は滅べばいいんだよ、世界というか、人類だね。他の生物は何も悪くないね。ごめんねぇ…

 

 

 

 

この頃

 

 

 

昨日、物凄く心が折れていて、それでも一生懸命生きなくてはいけないから、なんとかしなくてはいけなくて、でも何かに縋らないと生きられなくて、どうしようどうしようと困っていたら、夕焼けがとっても綺麗で優しくて、今朝も、昨日に引き続いて心がどんよりしていて、それでも今日一日を生き抜かなくてはいけないから、どうしようどうしようと困っていたら、近所の庭から金木犀の香りが漂ってきて、やっぱり優しくて、山には緑とその中に彼岸花の美しい赤、その上をモンキチョウがヒラヒラと飛んでいて、すべてが美しくて、そうして私はなんとか生き延びた。

 

自然の力は凄い。

何度も何度も思うことだけど、また改めてずっしりと感じて、平伏す思い。

 

人間はいつもこの世の頂点のように存在しているけれど、自然の前では何人も風の前の塵に同じ。

森林伐採、動物殺戮、大気汚染、好き勝手色々とやっていて人間様々だけれど、自然の威力には本当は誰も敵わないのだ。真実に気付いていないだけで。

 

 

どうして生きているだけじゃダメなんだろうね。思えば人間は始まった時から争ってばっかりなんじゃないか。歴史はよくわかんないけど卑弥呼の時には既に権力が起こっていたわけだし、原始人は原始人同士で争っていたのかな。マンモスと戦ってるイメージしかないけど。

争いがなければ死ぬ人はうんと減るし、生きてるだけで大丈夫なんならまたさらに、命は続くのにね。

 

 

 

まぁわたしゃあなんにもわからないけど、最近一番強く思ったのは、「最後の人類になる人は可哀想だ」ということ…。ずっと前に"地球最後の男"みたいな映画がやっていて見た記憶も見てない確信もないけど、それって本当に可哀想。生まれた時から一人なら何にも思わないだろうよ。でも、周りの人間が少しずつ消えていって、最後から二番目の人も居なくなってしまう瞬間なんて、恐ろしいったらありゃしない。だからわたしゃ今のウヨウヨと人間が生きている時代に生まれてよかったとだけは思うね。

 

 

でも人間もまた更に進化して、未来のネオ人類から見た私たちはいずれ今の私たちから見たアウストラロピテクスになるのかもしれない。腕は少なくとももう一本増えるね。常々思うけどこの進化した時代に腕二本じゃ足りないよ。象の鼻やキリンの首が、遠くの食物を食べる為に

長くなったように、人間だって腕の一本や二本、そのうち生えるだろう。知能はどんどん上がっていくから脳は肥大化して、機械に頼って筋力は使わなくなるから貧弱な体になるんだろうね。えっ?イカになるの?あっタコか?どうなの?気になる〜〜〜。とにかく今の時代では考えられない、ありえない、ほとんど魔法のようなものが遠い先に現れて、タイムワープだって物理的に本当にできるようになるのかもしれない。未来の子孫がそのうち会いに来るかも。

 

 

 

 

 

 

世界ーーーーー!

さっさと滅びろーーーーーーー!

 

 

 

 

 

 

しんどい。

しんどすぎてしんどいしか出てこない。

 

今日一日、ずっとしんどかった。

というか昨日からずっとしんどかった。

 

何十回も溜息を吐いた。

 

 

しんどいしんどい。

直接関係ないことまで思い出して、苛々までしてくる。

 

 

気持ちの遣り場がない。

不信感。

そして虚無感。

まだ怒りが残っているだけ気力がある。

 

 

ちくしょうめ。

世界ーーーーーー!

破滅しろーーーーーー!!!!!

 

 

 

小確発、小確幸

 

 

 

悪夢を見ないようドリームキャッチャーを吊るすように、いい夢を見られるよう好きな写真を枕の下に隠すように(本当にやる人いるのかな)、リラックスできるよういい香りのアロマを焚くように、私はよく枕元に本を置く。眠る間際まで読んでいたいからだけれど、読む気力がなくても置く。三冊か四冊、重ねておくこともある。よく眠れるお守りみたいなもの。

 

 

優しくなりたい、優しい人になりたい、そう思ってずっと頑張ってきたけれど、「あなたは都合のいい人間だよ」と言われて、今まで積み上げてきた(つもりだった)ものが一気に崩れ落ちた。心がポキッと折れてしまった。

 

優しさって何?

 

ずっと自問しながら生活してきたけれど、結局分からず終いのまま、私は一生優しさを持てぬまま、朽ちていくのかもしれない。

 

私がこれまでしてきたことって何なんだ?

 

「あんな大人になりたくない」と思っていた大人の気持ちや言動の意味がわかってきて、それが結局、私の行く末なんだと気が付いて、それでもやっぱりそうはなりたくないな、と思う。そうならずに生きていけるんだろうか。それも間違い?

 

 

 

三浦春馬の曲を聴く度に、胸が痛くなる。

竹内結子まで、どうしてしまったの?

ドラマ『ランチの女王』の、「ランチは1000円以内じゃなきゃダメなの!」っていうセリフと声質、表情、竹内結子がテレビに出る度、いつもそのシーンを思い出していた。私はあの時確かに、竹内結子にときめいていたのだ。(恋とかではなく、人間的に、キラーン、と)

 

寂しいね。

悲しいとか残念とか悔しいとか苦しいとか、色々と思うけれど、ファンというわけでもないけれど、とっても素敵な人たちが、自らの意思でこの世から去ってしまうこと、色んな理由があって色んなタイミングがあって、最終的には本人にしか選択し得ない、本人だけが選択できることだから、なんていうのかね、家族だろうが親友だろうが、結局は本人以外の人間には立ち入れない世界がある。

 

だから寂しい。

一人なんだ、と実感する。

人間誰しも一人だけれど、きっとその核の中に入って行ってしまったんだな、私たちがまだまだ知らない遠い遠い深い場所を見つけてしまって、その中身を知ってしまって、それでどうしようもなくなってしまったのかもしれない。

 

私にはわからないけれど。

憶測、全部憶測。

本人にしか分かり得ない。

寂しいね。

 

生きていることが全てではないけれど。

向こうの世界があるのなら、どうかこれから楽しく暮らせますように、と念ずるばかり。

 

 

 

 

昨日、ボールズが復活した。

3月に復活発表をして、5月にライブをする予定だったけれど、こんな状況下なので延期、そして昨日遂に念願の復活ライブを敢行した。

私は行けないので動画越しに観ていたけれど、やはり込み上げるものがあるね。

嬉しさと、懐かしさと、直接見られないもどかしさと、でもいつかまた見に行けるんだぁ!という楽しみと、いろいろと。

 

音に乗って風が吹くのを感じた。

ボールズの音楽は、いつ観てもいつ聴いても、ワクワクする。コロン、コロンって、ラムネの中のビー玉が転がるかんじ。シュワシュワしていて、爽やかで、キラキラ光って、心地よい音がして、夏にとっても似合う。

 

昨日のライブは、その始まり、という感じがした。春みたいな。あったかい風がね、フワ〜ッとみんなの間を流れて行く感じがしたの。

 

おかえりはもちろんだけど、ありがとうという気持ちでいっぱい。

 

 

 

 

 

悲しいことと、嬉しいことと、生きているといろんな事が起こる。

もうダメだと思う日と、明日に希望を持てる日と、日替わりにやって来る。

 

それでも今生きているのなら、いいやぁと思う。苦しい日々があっても、それを包み込む幸せがあるんならば。どんなに些細な事でも、それが明日に向かう糧になるのなら。そうやって無理せず生き続けていけるのなら、それでいいじゃない、と思う。

時々、何の為に生きているんだろう?とアンパンマン状態になることもあるけれど、日々の中に小さな喜びがちょこん、ちょこんといて、それを吹っ飛ばしてくれるの。それってすごく素晴らしいことだよね。

 

 

 

今日も生きていてよかった。

 

 

 

望み

 

 

 

もらい生理ってあるよね。

もらい泣き、もらい笑い、もらいゲロ、もらい生理。

 

学校で友達が生理になると、翌日自分も生理、みたいな。

 

 

母は偉大だと、日々思う。

我が子への底知れぬ愛を、自分の母にも他人の母にも感じる時、母親という存在を神のように感じる。

世界はどんどん変わってゆくし、人間の脳も時々おかしな方向に向かっていく。腹を痛めて産んだ愛子を虐待したり、血の繋がった家族を殺めたり、様々な事が多様化したことが裏目に出ているなと思うことがある。死んだ心がウヨウヨ生きているような。

 

それでも、母はいつだって偉大だ。

全国の、全世界のお母さん、素晴らしいです。

お父さん方が素晴らしくないわけではなくて、子を産むのが男性の役目であったなら、今私が讃えているのは父親だったんだろう。

 

 

 

夢の力は凄い。

壮平さんが広い芝生の上でライブをしていた。合間、ひとりで人気の無いところに座り込んで「大丈夫だよ。大丈夫」と呪文のように唱えていた。洋次郎さんまでチラッと出てきた。石田ゆり子さんちのバビちゃんにも会えた。(しかし触ろうという時に起床…)部活中、顧問に「スーパー内の好きなものを全て食べていい」と言われて、店内をグルグル走りながら、アイスやケーキやパンを見ていた。(が、結局一口も食べていない)大嫌いな顧問と、何故かうまくやっていた。今頃会ったら大人ぶって、うまくやれるんだろうか。友人が、「叫べ!」と言っていた。それから「生きろ!」のようなことも。詳しくは忘れてしまったけれど、「少年よ大志を抱け」のような素晴らしいことを言っていた。それに凄く励まされた。

 

なんだかすごく重要な夢だった。

楽しい夢、幸せな夢は沢山見るけれど、こんなに「重要だ」と思う夢は初めて見た。

 

何かが変わるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

人に気を遣えなかった時、悲しくなる。

何に?

そういう時は月を探す。

今日は月がいない。

部屋の窓から見えないだけなのか。

 

 

世界は一つじゃない。

パラレルワールドは在るんだろう。

真実はどうでもいいけれど、神がいるかいないかみたいなもの。

 

そう思うと、隣の世界のこの場所にはこの部屋も私も存在しないと思うと、なんだかなんとかなるような気がする。なんでも、なんとでもなる。どうであろうが、どうでもいい。