春、爛漫

 

 

春休みであろう小学生たちが外を駆け回って遊んでいて、なんだかホッとした。

少子化と機械化が進んでいる中、まだ家の外に出て原始的な遊び方をしていることに安心感を覚える。

 

小学生の頃よく通っていた駄菓子屋さんがとっくに店仕舞いをしているのは知っていたけれど、それでもカーテンの閉まったそのお店の前を通ったら、悲しくなってしまった。

 


何にでも終わりがあって、人との出会いにも、この命にもいつか終わりがくるけれど、どうか大好きな人たちだけは、離れていかないで〜と思ってしまう。寂しい。悲しい。心細くておそろしい。

 

 

人生は暇つぶし、と誰かが前に言っていた気がする。

今、ふと私もそう思う。


この人生はリハーサルのようなもので、この人生が終わった後に、何かもっと大きなものが、やってくるんではないか。

そう思いたいと思う心と、本当にそうなんではないかと思う心とがある。

 

だから自由だ。
この世界は、この人生は、全てが自由だ。

この世界は、この人生は、すべて自分の中にある。
私の頭の中で回っているだけなのだから、もっと気を楽にやっていこうではないか。

 

この世界で私は一人だけだし、一人ぼっちでもあるけれど、それでも私だけでない。
同じことを考えている人がいる。同じことに悩み、悲しみ、喜び、同じように生きている人がいる。大丈夫だ。

 

 

最高に最高な音楽を目一杯音量を上げて聴きながら、テレビに映っている理不尽な出来事を見たり、この世の中のことを考えたりしていると、笑えてしまうほど本当に不条理で、どうして私はこんなところにいるんだろうと思えてくる。


いつまでこんな所にいるんだろう

と、この前部屋で一人、無意識に近い状態で呟いていたことを思い出す。

本当に、いつまでこんな所にいるんだろう。


最近、どんどん短いスパンで、日本に対する不信感や嫌悪感が生まれている。海外に触れる機会が増えたからかもしれない。単に、今の自分を快く受け入れられないからかもしれない。


何処かへ行きたい。遠くへ、できる限り何も知らない、何も知られない所へ。

この世界から、この国から、この街から、この部屋から、飛び出したい。

世界は広いくせに何処へだって行ける。何処へだって行けるのに、どうしてこんな狭い部屋に閉じこもっているんだろう。

 

 

地下にいる気分なわけではないけれど、空が青くて真っ白い雲が気ままに動いているのを見ると、なんだか自分と比べてしまう。

 

尊敬する人が、過去も現在も未来も、本当は同じ空間の中にあるのではないかと言っていた。そうだったら、そうだったら私は今何を考えて何をしたらいいんだろう。


偉大な人の陰には人や生きとし生けるものの死がある。

 

 


最近お酒が飲めなくなってきたし、お酒を飲んだ夜はあまりよく眠れないし、眠たい日は生と死の狭間にいるような気がしてくる。


時折何の為に生きているのかわからなくなる。
死にたいに繋がるわけでなくて、単純な理由がわからない。

 


助けてほしくって
合図を出してみようかと思うけど
怯えてしまってできなくて
ぐるぐるグルグル
曲がった配管を転げ落ちていく気分

誰かに愚痴を聞いてほしい
否定をせずに、うんうんそうだね間違ってないよって、言ってほしい

そんな居場所なんてないのよ〜


憧れている人のことを思い出して、物凄く胸がホッとした、わたし間違ってないやと思える

 

 

 


ここ最近書き留めておいたメモ5、6個を面倒臭いのでひとつにまとめたら、全然まとまっていないけれど面倒臭いのでそのまま保存しておく。思考の整理ができないとずっとモヤモヤが残る。これで少しは脳みそにスペースができたかしら。

 

あと30個くらいあるメモを、早くゼロにしたい、、、。