涼夜如清水明河似白雲

 

 

 

悪口は良くないけれど、「悪口を言わない」って偽善じゃない?とふと思った。

 

「私はベジタリアンです」って言いながら毛皮のコート着てる、みたいな。

 

違うかな。

 

わかんないけど。

 

 

万人に合わせる必要も無いし、どこにも実存しない理想ばかりに固執する事もないね。

 

わかる人にわかればいいのよ。

分かり合える人と分かち合えばいい。

 

 

 

 

夢を叶えた人達を、その努力した過程も含めて見ると、言葉にならない感動がある。

なにせその努力を、少なからず近いところで見てきたから。そして実際彼らは私が見てきた何億倍も努力しているであろうことはわかるから。

好きという根本的な気持ちと、夢を掴み取りたいという野望をずっとずっと持ち続けて、少しずつ少しずつ進み続けて、もちろん苦悩は沢山あったろうし、挫折も沢山したんだろう、それらを何度も何度も乗り越えてきたんだろう、、、などと考えると、最終的に言葉にならない。

 

 

私は小さい頃から夢がない。幼少期の「おおきくなったら」的なやつでは(全然興味ないな…と思いながら)周りの子に合わせて「ケーキ屋さん」とか「お花屋さん」とか言っていたし、中高生の頃はなんとなく英語が好きで分かりやすい仕事が教師だったから英語の先生になりたいと思っていたけれど、人に何かを教えたり説明したりするのがとても苦手だと感じてすぐ諦めてしまったし、社会人になった今でも夢など何もない。

 

夢や目標があって、それに向かって努力する、そういう生き方に憧れる。

 

でも、本当は、平凡な日々でいいんではないか、とも思う。

 

正直、どっちでもいいような。

 

やりたい事があればそれに直進すればいいし、穏やかな生活を愛おしく思うのならそれでいいし。

 

 

 

普通の暮らしの中に、小さなストレスを見つけて、というか今までストレスと思っていなかった事がストレスだと気が付いて、そう思ったらあれもこれもストレスじゃん、生活の中のストレスじゃなくてストレスの中での生活じゃない?ってくらい、人間だからこその、日本人だからこその、女だから、この年齢だから、この環境だから、の色んなストレスが一気に浮き彫りになって、なんだか心がくたびれた。

 

本当に些細な事なんだけど、薄暗い中で本を読もうとすると、「あ、目が悪くなるから電気点けなきゃ」と思うんだよね。皆が皆そうかはわからないけど、小さい頃から親に注意されていたからとか、視力が悪いからこそ気にするのかもしれないけど、私は本当は、薄暗い中で本を読みたいんだ。晴れた昼にカーテンを閉めて、窓辺で雨を眺めながら、夕暮れの薄赤黒い部屋の中で、それが好きなんだ。しかももう、これ以上視力が下がるか?ってくらい視力が悪いんだから失明しない限りもう、いくら視力が落ちても変わらないじゃないか。

 

今までそういう状況下で読書する度に小さな負荷が掛かっていたのだと思うとちょっと恐ろしい。気付くって大事ね。スッキリしたからこれからは正々堂々暗い中で本を読むぞ。やー。

 

 

あとは食事のこととかね。

何を食べるにも、カロリーとか量とか栄養バランスとか食べる時間とか、一々気にしてしまう。いや、気にしないといけない、もはや暗黙の義務みたいな圧力がある。この裕福な国には。

 

服装のこととか。

年齢、性別、場面、そういうのを考えて服を選ばないといけない。私にはそれらを一掃する度胸がない。今夏一度も着られなかった派手なシャツ。デザインが好きで本当は着たいんだけれど、なんだか怖気付いて着られなかった。でも情けないから今月中に絶対着るんだ。あと4日。首を洗って待っていろよ、秋。

 

それから社会的地位のこととか。

職業、役職、学歴、経験、既婚未婚、どんな家に住んでどんな車に乗っているか、交友関係、親兄弟の立場まで、そういう付属品で優劣を決めてしまう、究極には今日一日どんな過ごし方をしたかででさえも、競争してしまう。不思議な世界。

 

 

何でも、好きにやったらいいよ。

やったらいいよといいながら、私もその奇妙な世界の立派な一員として生きてしまっているんだもの、情けのう情けのう。

 

 

なんだかね、徐々に徐々に、人間全体がおかしな方向に向かっていっているような、そんな違和感をこの前感じて、不気味に思ったけど、まぁ完全におかしくなる前に私は死ぬんだろうから、なんでもいいやぁ。と思った。

 

 

 

 

最近の癒しはずっと、石田ゆり子さんの家族たち。心も体も大きくて穏やかな雪ちゃん、緑の目が素敵でいつも凛とした表情のハニ坊(ハニオ)、今だに区別が付かないがどちらもまんまるおめめで可愛い茶トラのはっちゃんみっちゃん(はっちとみっつ)、登場は少なめだけれど綺麗な足袋柄をしている面倒見のよい優しいタビちゃん、フワフワしっぽでなんとも愛くるしいアイドルばびちゃん(バンビ)、そして彼らのお母さん的存在の、石田ゆり子さん本人にも、いつも癒されている。

 

ペットが飼い主に似るというのは事実だと思う。ゆり子さんちのみんなは、本当に優しくて穏やかな表情をしている。ゆり子さんに話し掛けられた時の表情で、どれだけ安心して信頼しているのかも伝わってくる。毛並みも綺麗でいつも丁寧にブラッシングしてもらってるんだろうなと思うし、あれだけの大家族なのに広いお家の中はいつでもどこでも綺麗。雰囲気もとっても素敵。澄んだ、良い"気"のようなものも感じる。あと家具や置物ひとつひとつがほんとうに素敵。

 

数ヶ月前に石田家に仲間入りした子猫のバンビくん(あれっ男の子だったかな。)はもう、本当に本当に可愛くて、見る度にメロメロで参っている。ガジガジワシャワシャしたくなる。わーん、一度でいいから会ってみたい。できればまだ子猫のうちに!お願いします!(泣)

 

一匹一匹個性があって、ゆり子さんがそれぞれの性格に合わせて話し掛けたり可愛がったりしていて、とっても平和。美しいです。

 

ゆり子さんのエッセイやフォトエッセイも読んでいるけれど、本当に素敵。なんていうのかな。初秋の人みたい。夏の熱さを秘めつつ、涼しくて清々しい風を吹かせる、郷愁溢れる魅力漂う、そんな人。でも春みたいに暖かくて穏やかな心も持っているのも物凄く素敵。この間インスタグラムのライブ配信も見たけれど、イメージそのままで、とっても素敵でした。

 

 

あんな風な人になりたい。

数年前からジワジワ、ずっと、そう思っている。容姿も、考え方も、趣味も、感覚も、生活の仕方も、話し方や表情も、生き方も、すべてが美しいのです。本人はズボラだとかそういう風に思っているみたいだけれど、丁寧で、穏やかで、優しくて、凛と澄んでいて、私にはそう見えるんだから、やっぱり私はゆり子さんみたいになりたい。

 

あの人いいな、ここが素敵だな、見習わないとな、そう思うことはよくあるけれど、その人全体に惹かれて憧れることは滅多にない。というかこれまで一度もなかったんじゃなかろうか。

 

言葉にしてしまうと、なんだか随分無理な事を言っていてアホかと思うけど、少〜しだけ背筋が伸びる。一瞬ね。

 

そういう存在があると、生きる気力が湧く。

は〜、感謝です。石田ゆり子様さま。

どうかこれからも変わらぬ美しさで、どこまでも生きていってください…。